文章

http://q.hatena.ne.jp/1163208026
先週ばたばたしてるうちに終了してしまっていた。残念。
イデアというか原案段階で止まってしまっていた。

「中に人がいる」と、そのゲームを表現する時がある。

ゲームにおいて、主導権はプレイヤーが握るものだ。ボタンを押すか、レバーを倒すかしなければゲームは進まない。(アーケードゲームは例外になるが、これだってコインを入れなければゲームは始まらない。)
基本的に、ゲームはプレイヤーに支配される。
だがそれでも、ゲームが全てを支配する瞬間というものがある。
プレイヤーがゲームに支配されたと感じたとき、そのプレイヤーはそのゲームを「人」と認識する。

その瞬間は時に理不尽である。
その瞬間は時に不愉快である。
にもかかわらず、この表現にはそういった否定的な要素は含まれない。
それは感動であり、賞賛であり、祝福の表現だ。
それはgameに対してであり、作り手に対してであり、プレイヤー自身に対してでもある

その瞬間に「人」と呼ばれる存在は、過去の我々であり、未来の我々だからだ。
かつて支配されるだけだったものが、「彼」として同じ次元にいる、と感じられたこと。そんな現象への祝福の言葉が「中に人がいる」という表現なのだと思う。

相変わらずまとまった文書けねぇなぁ俺。