皆anond好きね

 引きこもって2ch見てた時期があったりはてな周りを追っかけてたりしたので「*1最終的には人を見つけていくしかないなあ」というところに来ている自分からすると、b.の一覧がanondで埋まっているといかがなものかと思ったりしないでもない。ん、ちょっと違う。そこはどうでもいい。自分個人としては、発端がanondであったとしてもブクマコメや「含む日記」で人は発見できるのでそれはそれでオッケーかも。
 何か「書くこと」がanondに引きずられていくようになるかもしれない、というところに若干引っかかるのだろう。そこを延長させていくと「2chをコピペしてワロタと一行レス」とかそういうところに繋がっていくような気がするのだな*2。杞憂っぽいけど。
 「"誰が"書いているかよりも"何が"書かれているか」的な部分に関しては「Google先生がいればどうにでもなるから別に「場」として存在しなくてもいいじゃん」とか思っているかも。というか、"何が"は確かに大事だけれども"何が"専門で"誰が"が全くないのがかえってめんどくさい*3、といったような感じがする。両方やれ、であるな。
 あと、個人や特定の物事が含まれない匿名的文章ってのには限界というか天井があるよな、という感覚もある。ネット歴短いので偉そうなこというのもあれだけど、「ああいうことが書ける」「ここから向こう側は書けない」という予想がなんとなく付いてしまう、というか。うまく表現できないけど。


 書いていて思ったが、自分はどうしても「読むこと」が優先されるようだ。「読まれること」を全く考えないわけではないんだけれども、そこはブクマコメやコメント欄やトラックバックすれば「読んで欲しい人に読んでもらう」ことはできるからあまり意識していない、のだろう。まあでも「不特定多数に読まれたい」という感覚もわからないではない、けれどもあまり優先される感覚ではない。
 過去にここらへんで「見る人と見られる人の違い」みたいなものを感じた事があるのでそれへの自分なりの回答ができた感じだ。名指しで言うとちょっとあれなので見えないトラックバックを飛ばしておく。「俺のことかー!」と思った人は何か書いて(そしてできればそっと教えて)ください。
 それから、読む読まれるという軸ではなくて「書くこと」そのものに動機付けをもってこれる人というのもいるのだろうな、というのはある。まあそこは「読まれる」こととのバランスで決まるもので簡単に割り切れるものではないのだろうけれども。


参考にして書いたわけではないけれど参考として似たようなanondの話を
http://blog.livedoor.jp/soylent_green/archives/50919895.html
http://d.hatena.ne.jp/REV/20070304/p6

*1:webの文章を読むという活動を有意義にしていくには

*2:まあそれはweb利用の一形態ではあるだろうが個人的には不毛だなあと思う

*3:欲しいときに得られない、といった感覚