狂気と自己中心について

http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20070325/p3
内容としては、「狂気」あるいは「狂う」というフレーズはどうしても精神や心の病気につきまとう表現で、そしてそれは(p_shirokuma先生の日常であるところの現場からすれば)無知からくる不当な表現だったりするよ、という話だと読んだ。
追記:ここでいう"「狂気」というフレーズ"というのは、いわゆる広義の、「自分勝手」とかその他諸々な要素も含んでしまうタイプの使われ方としての「狂気」、といったような意味。


で、思い浮かんだこととしては、俺が物語、作品を読んでいる時に「それは狂気じゃなくて欲望に忠実なだけじゃねぇか」という感想を抱いた事が何度かあった、ということだった。当然、そんなのは個人的感想であろうし、そもそも作品や物語で描かれるものと実際の病気、症例とを並べることはできないんだけれども、なんというか、単純に自分勝手だったり、異端だったり、二面性が両極端だったりする(ツンデレ!)だけでそれを「狂気」といっちゃだめだろう、といったような。狂気というのはもっとこう、過程は理解できるのに結果だけが理解不能なんだけど全く理解不能なわけでもなくてそこのわからなさが恐ろしい、といったようなものではないのか。ううん上手く書けなかった。tosakushaで少し書いたときから進んでないな。


仕方が無いので

傾いた世界 自選ドタバタ傑作集2 (新潮文庫)

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の「毟りあい」を読みましょう、ということでごまかす。