場と弱者を巡る話

http://d.hatena.ne.jp/mizukik/20070509/1178699542
(主にネットにおける)場を巡る問題が見事に文章化されていたのでいくらか。
これはもう強弱関係なく「場」というものの持つ宿命みたいなもんだと思うんだけど*1、それで残念なことになってしまうケースはある。あるんだけど、それでもコミュニティというのは発生してそして消滅して(あるいは変容して)いくわけで、これは個人が「こういうケースもある」と心に留めるしかないし、心に留めつつコミュニティを探して(あるいは作って)いくしかない。その点で、こういう文章が人の目に触れるというのはとても有益なので是非多くの人に読んで欲しいと思った。


こういった現象(止まり木化?)というのは否定はできない。それでプラスに向かう人もいるだろうし。でも、そこでプラスに向かえない、向かえなかった人というのは存在するし、そういう人というのは憎悪することもできずに居心地の悪さだけが残る、という話だと思うんだけど、そういう時の対処法(というか、その影響をモロに被らないための予防法)としては、きたりんさんや引用されてる文章を否定するかもしれないけど、「場」に対して過剰な期待をしないことだと思う。思い入れというのはあってもいいけど、「変わってしまった」とネガティブな感情を抱かない程度の。と、これだけだと「高望みするな!」というのとたいして変わらないんだけれども、そこで「人」を見つければいいんではないかな、と俺は思う。
と、「人」見つければいい、とざっくばらんに言ってしまうと、特定個人と仲良くなれとか愛されたければ愛せというのと同様に、「与えられない」人はどうする、というところで引っかかるんだけれども、俺としてはそれは「読む」「聞く」「見る」だけでもいいんじゃねぇかなぁ、と思う。流石に「オフラインで見る」だけってのはストーカー認定される可能性が高いけど、オンラインならリファラとかブクマとか、気が楽な面もある。
それというのはつまるところ、「与える」ことはひとまず置いといて、自分にとっての「与えられる」ということを突き詰めてみろ、ということであって、http://d.hatena.ne.jp/setofuumi/20070418#p2この話に繋がっていく。俺の中では。

*1:コミュ非コミュだけでなく趣味思考の面でもこの問題は発生する。レアな嗜好は非コミュ状態になりやすいことも含め。わかりやすい例だと「男なのに○○」「女なのに○○」など。