内側にあるもの

書くことの動機として、自分の内側にあるものを外側(ほかのひと)に伝えたい、というのはあると思うんだけれども、その「外側に出す」ことについてちゃんと考えている人、(ちょっと誤解を生みそうな表現だが)その作法に大変意識的な人がいるのだな、とわかってきた。
それというのは、別に書き手として褒められたいとか人気が欲しいとかではなく、純粋に自分の内側にあるものを出したい、そしてそれを出す手法を洗練したい、といったような。俺はそういったような「純粋に洗練したい」というモチベーションが無い、かもしれない。エネルギーがそっち側にいかずに、「読む側」の方向に向かっている気がする。そしてだからこそ、純粋に洗練したいと思える人を見ると素敵だなー、と思う。あんまり男女で分けるのは良くないが、これは結構女性的な感覚なのかもしれない(その俺には無い感覚が)。