素晴らしい人たち

書くにあたって、とりあえず自分の認識やスタンスなどを書いておく。

  • 決まった定義などなく、各人各様に使っている言葉である、というのは十分認識している。
  • 自分が認識しているもの、これから書こうとしているものは、いわゆる非モテ非コミュに関する話題の中で使われるもの。
  • 非モテ非コミュといった話題に理解のある人でも、この言い回しには違和感を覚える、という意見を聞いたことがある。自分としてはその意見に同意しつつ、フレーズとしての「素晴らしい人たち」はあってもよい、と考えている(使い方には注意が必要だが)。

 このフレーズを解説するのはかなり難しいが、「各人各様です」だけで済ませてしまうのもあれなので、一応参考として一つの文章と自分のbのタグを置いておく。わからない場合はここからなんとなく類推してもらえば。
http://www.letre.co.jp/~iwaki/shimin.html
http://b.hatena.ne.jp/setofuumi/%e7%b4%a0/

 で、なぜ急に書きたくなったかというと、anondの男女話とそれへのブックマークコメントがこの「素晴らしい人たち」というフレーズに繋がったから。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20070527130932
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20070527112136
特にid:kanoseさんの

2007年05月27日 kanose kanose 非モテ ミソジニー発生の現場。なんで女全体に話が広がっちゃうんだろうなあ。憎むのなら属性ではなく個人を

2007年05月27日 kanose kanose 非モテ, 男女 個人を憎むより全体を憎んだほうが楽だという意見があったなー

ここらへんのツッコミがこのフレーズの使用に対しても言えるな、と思った。

 どうしても好きになれない、もしくは無自覚に(時には自覚的に)苦痛を与えてくる人間を「あいつら」とくくってしまいがちだけれども、それでもそれは最終的に「わたし」と「あいつ」の関係になってくるわけで*1、それを抜きにして「素晴らしい人たち」とくくってしまうのは解決を遠ざけることになってしまう場合もあると思う。職場や血縁、縁故などで逃げられない関係ならなおさら。

 その上で、このフレーズを使うこと(使うひと)はろくでもないこと(ひと)だ、とは思わない。それは、愚痴や共感によって問題を解決するためのエネルギーやアイデアを得る、という可能性がいくぶんかはあるから、というのがある。また、anondのように「女」とくくってみたり、それと同程度のくくりかたをするよりは、まだ範囲が狭いというか、限定的な意味合いを(今のところはまだ)保っていると思えるから。

 まとめると、このフレーズを使うことによって、問題の解決へ少しでも近づくなら使っても問題はない、ないけれども、それはともすれば「男は」「女は」レベルの物言いに堕してしまうし、そして最終的な問題の解決は、あなた自身のリアルな「あいつ」との関係の中でしか解決しない、ということを忘れてはならない、と思う。

*1:集団での陰湿ないじめのようなケースは除く