嫌いと言うには元気が必要

http://artifact-jp.com/mt/archives/200402/murakami.html
たまたま読んだら俺がうすぼんやりと考えていたことが色々と書いてあった。
http://d.hatena.ne.jp/setofuumi/20070109#p3
ここの中二病どうこうを書いたのにもらったブクマコメとかに繋がる話。

「嫌いだ」って言うのは元気が必要だという。

とかが我が意を得たりな感じ。
思うに、(ネットで色々な人の色々な文章を)読む側としては、それがポジティブにしてもネガティブにしてもエネルギーがあったほうが何かと良い。
中二病のあれこれの中で「見下した方が良い」と書いたことに引きつけて書いてみると
俺の中では

元気のあるポジ>元気のあるネガ>元気のないポジ>元気のないネガ

↑は誤解されるのを恐れすぎたので誤解されそうな表現をすると

エネルギー溢れる「好き」>エネルギー溢れる「嫌い」
 >エネルギー使ってない「好き」>エネルギー使ってない「嫌い」

という評価基準なんだけど、時折

全てのポジ>全てのネガ

という評価がされて、元気のあるネガ(これが嫌いだ!)というエネルギーがスポイルされるのは(読む側としては)嫌だな、ということだったりする。同じようなことを
http://d.hatena.ne.jp/setofuumi/20070104#p2
で書いたりした。
何かによりかかって(中二病だから貶して良い、とか、最近だと作画崩壊とか)ネガティブな言説を吐くのは確かに有害だと思うんだけれども、溢れるエネルギーでもって「これが嫌いだ!」という主張は、俺はネットで読んでみたいと思うし、どんどん出てきて欲しいと思う。