kanoseさんにお返事(人と場、あとコモンセンスについて)

http://d.hatena.ne.jp/setofuumi/20070611#p1
から。これは弁明ではなくほとんど俺の脳内の表明あるいは言語化なのでそのつもりで読んでいただけると幸い*1

id:kanose
どうも僕は「場」に対する信頼を持っていると草実スサさんのコメントなど見ていると思われているようですが、大野さんのこの最後の段落と同じ見解なんですよ。これは「場」なんですかね?
http://www.absoluteweb.jp/ohno/?date=20070613

まず、俺自身がkanoseさんに対してどう思っているかというと、俺なんかよりよほど、人と場の両方に対して積極的にコミットしていく人だ、と認識しています。なので、kanoseさんは人よりも場を見ている、と書いたのは事実としても俺の認識としても不適切でした。申し訳ない。そう認識していながら筆が滑ったのは「容認する場」というタイトル、そして文章で示されている範囲があまりに広く、それによって(誤爆に近い格好で)悩んだり困ったりする人が出てくる事が予想できたからです。また、そのような書き方をすると面倒な人*2の発生率が上がる、という経験則があったからです。できればそれらが発生しにくいような書き方をして欲しいので。


大野さんのいうところのコモンセンス的な部分については、kanoseさんが「同じ見解」だというのはよく理解できますし、それは「人」を見た真っ当な振舞いだと思います*3、上でも書きましたが「人よりも場を見ている」的な表現をしたのはまったく不適切でした。
ただ、特定の誰かへ向けて何かをいう場合、俺個人の方針として「影響を与えたいと強く思う人*4へ何かを言う」ことを基本としているので、「交流があるから何も言わない」とされる*5のは良くないことだと思っているわけです。
上述のコモンセンスに則っていない、という部分は俺にはあります。ありますが、正直に言えば、そのコモンセンスは「そうあれれば良いね」という理想としてのものだ、とも思っています。ネット上では様々な形の*6交流があっても良いと考えていますし、「交流」に責任を負わせるような規範がなくとも、「影響を与えたいと強く思う人へ何かを言う」を(ネット上で)実行していれば、それは同時に大野さんの言う所の「牽制したり疑義を呈する」ことになっていくものだ、と考えています。

*1:あらゆる文章を弁明として読んでジャッジしたがる人避けのエチケットペーパー

*2:漠然とした表現ですが代表的な例としては、kanoseさんのとこのコメント欄に誰かと何かをコミュニケーションするでもなく長々と書き込んでいながら当該の文章に言及もしていなければちゃんと読んでもいなさそうな人、としておきます。

*3:俺言語用法なのでわかりにくいですが最大限の賛辞です

*4:結果が期待できるか、というのも絡んでくるが割愛。

*5:そして一般論的に「そういうこと」にされる

*6:全人格的でない、部分的な