書くことをスポーツに例えてみると

webで一行コメントをすることから作品として長い文章を書くことまで含めて、書くことというのは「うまくいくかどうかわからんけどやってみる」というものだと思っている。「こんな風になったらいいなあ」という理想(目標、目的、意図)があって、なるべくそうなるようにやってみる、が、結果がどうなるかはやってみないとわからない、といったような。


スポーツでいうと「幅跳びの自己記録を伸ばしたいので助走つけて飛んでみる」とか「ランナーを2塁に進めたいのでバントをしてみる」とか。
時折、結果から全てを逆算して「バントを失敗したということはランナーをアウトにしたくて自チームを負けさせたいためだな」とか看破してしまうエスパーさんが出没したりするけど、意図と結果というのは直結するものではないし、他人の意図というのはそう簡単に見えるもんではないよな、と思う。
もちろん、観測できるものが多ければ(1スイング→1打席→1試合)それは見えやすくなるけれども、それは見る側にしても見られる側にしても大変なことだ。


あと「野球をしたいのにプールにきている」とかそういうのは、単純に間違っているだけで野球場への道を教えてやればいいよな、とか、でもプールに来ておいて「野球を出来るようにしろ、できないならろくでもない」とか注文をする人もいるよな、とか、それ以前にプールに来ている人ってのは目的まちまちだよね、とか、自分がサッカーをしているからといって周囲の人間に「手を使うなハンドだ」というのは無理筋だな、とか、それを自分から野球場に入ってきてやるとギャグに通じるよね、とか。なんかずれてきたな。やめよう。