書け書くな

webに書くことについて、案外、自分の中で「詳細に書けよ」と「詳細に書くなよ」は同居している。それは自分に対して、自分の書くという行動の基準を調整する行為でもあるし、また他人に対して、読者としての俺からの願望でもある*1
自分の事に関しては一応葛藤が起きないようには色々調整しているが、他人の書くことというのはコントロール不可能なので、読んでいて多少居心地の悪さ*2を感じたりもする。
それは書き方(おもしろおかしく/淡々と/詩的に)という部分でだいぶ違ってもくるし、メディアであるところのweb上と生身との関係の中で居心地の良さ悪さが決定されているふしもある。まだはっきりとはわからない。そもそも文章というのには大体のターゲットというものがあるので(俺は外国語が読めない)、俺があれこれと考える必要の無い範疇にある文章も数多くあるとは思う。思うけれども、それでも読み、ある程度理解してしまった文章に対して「書けよ」「書くなよ」と思ってしまうことは、どうしてもある。
こういったものを直に「評価」としてボロボロ表に出すほど俺は下品ではない(と同時に臆病な)つもりだけれども、その際に居心地の悪さ、と表現したものを抱いてしまうというのは俺がまだ(生きるということに)安定していないからなのだろうかな、と思ったりもする。
今のところわかっていることとしては、日頃の言動とは裏腹に「書くなよ」というのが俺の中で案外しっかりと存在しているようだ、ということ。

*1:それは時として「評価」という形をとることもあり、俺はそれをだいぶ重いものとして考えているようだが、それはまた別の話

*2:あまり正しくない表現だが、気持ち悪いというのも漠然としすぎだし人様に失礼と言う話だな