自他と評価の話

http://d.hatena.ne.jp/uumin3/20070726#p3
http://d.hatena.ne.jp/ymScott/20070726
http://d.hatena.ne.jp/miyakichi/20070529#1180486972
ここらへんを読んでいて思ったことなど。

  • とりあえず、スポーツやスポーティなことには親しんだことがあるので、身体的な成長は自己承認手段になり得る、というのは非常によくわかる。確か山際淳司もそう言ってた*1
  • 俺としては自己承認に関しては「芸術、作品と呼ばれるもの(本でもゲームでも映画でも)に触れて感動することを突き詰めていけ」というのがある。
  • どちらも「非人間」というか、「他人」ではないものを頼れ、ということなのかな、と。それが担保になる、という話。
  • けどここで難しいのは、その「自己評価」「自己承認」は、結構周囲の文化とか風習その他諸々に影響を受けるということで
    • 「筋肉が有るのは無いよりも良いこと」という事を自明なこととして受け入れられないと、筋トレに価値を見出すのは難しいだろうな、とは思う。俺のいうところの芸術や作品というのも、「知っていればいるほど良い」とされるものもあるし、逆に知っていること(感動すること)がネガティブな評価を受けるジャンルもある。そういった時に「筋肉が有るから/感動したから」というところを頼りにするのは、はっきりいって無理筋になる。
      • とはいえ、「自明なこと」までいかなくとも、極論すれば誰かに「それいいね」と言ってもらえればそれをもって「自己承認」とすることはできるわけで、そのための手段としてカウンセリングだとかネットのコミュニティだとかを利用するべき、というのを時折思ったりする。
  • ここでもうちょっと踏み込んで、というか俺の自分語りを入れてしまうと、俺が大学にいけなかった時期というのは「俺の体は汚い的な自意識」であるとか「年齢が高い(真っ当ではない)」だとか「(結果的に)要領良く単位が取れない」とかそういうものが原因だったのだが、それは「自明(にダメ)なものとしていつの間にか学習した」価値観*2によってそう思っているので、案外どうしようもなかったりはする。
    • というかぶっちゃけ「均一な集団*3の中に異質な自分が一人だけ存在している時の感覚*4」というのははっきりとした解決法は無いような気がする。肉親やカウンセラーやネットの知り合いはそこには付いていけないので。
  • まあそこまで来ると「ストレスフルな環境にいるならまずそこから遠ざけて回復に努めましょう」という話になってくるのだが…。
  • ちょっとずれたが、そういう状況の時に、「自己承認不足は診察室やネットで起こってるんじゃない、現場で起こってるんだ」ということは出来るのだけれども、俺としては「それは別のモノだから諦めてもらえるものはもらっておけ*5」とも思う。そして同時に、「他人の自己承認不足」に関して何かを言うとしたら(そしてその他人のことを本当に気遣うなら)、「現場で起こっている(そしてそれは他人であるところの我々には介入できない)」というところを押さえていないと、それはやはり「上からの無益な説教」にしかなりえないとも思う。
  • 自明な価値観を共有」という部分から言うと、自己承認不足で苦しんでいる人に何か出来るとしたら、「私とあなたの間で何らかの自明な価値観を共有しましょう」という"だけ"のことであって、それ以上でも以下でもないと思う。そしてその意識は、アドバイスする側にもされる側にも必要なことだろう、とも。

追記。

2007年07月27日 Masao_hate Masao_hate 心理 ”極論すれば誰かに「それいいね」と言ってもらえれば”←ここで「他者」が必要になってるなとチラっと思ったけど、一人くらいはネットかどこかから調達できるだろうって考え方だから、いいのか。

肉親、カウンセラー(そういうお仕事の人)、ネット、というのは、難しい状況に陥っている人でも「いいね」と言われる(承認される)ことを調達する手段として有効だと思うので、可能ならば可能な限り利用すれば良いと思います。ただ、それだけでもなくて、ここでは「自分の持っている(打ち込んでいる、熱心な、得意な)もの」に対して「いいね」と(間接的に)言われることも、価値観の共有になるんではないか、という意味も含めました。「周囲の文化や風習」という意味ですね。筋トレなら「筋肉のある男性/女性はかっこいい」という話をどこかで見聞きしたりすれば、直接「いいね」と言われなくとも筋トレと自己承認を結びつけることができると思います。その結び付けやすさと言うのは打ち込む物事や個人の感性によってまちまちなので極論でしかないとは思いますが

*1:ボディビルは自分だけで行え、成長がkgや筋肉の感触で実感できるのが良い、とかなんとか

*2:に加えて、客観的な事実。体がどうこうとか経歴がどうこうとか。

*3:人はそれぞれ違う、というのは自明だが、学校とか職場というのはその自明さをひっくり返すだけの空間としての力があると思う

*4:そしてそれは「感覚」だけにとどまらず、からかいやいじめといった実際の現象として現れることもあろうと思う

*5:若干語弊があるが、説教は説教として聞いておけ、というか