WSC(ワイドショーコメンテーター)問題

ワナビー・マジョリティ及びワナビー・ワイドショーコメンテーター問題。
結論的な部分は出ずじまいだったが、どういった問題であるかがかなりはっきりわかったので記録しておく。ネットの言論を表現する際に用いられる「居酒屋」「床屋」といった部分や、「アルファブロガーコメント欄」的な部分も含みつつ。

  • とりあえず、ゴシップ、ワイドショーの類は娯楽としてアリ
  • 「ワイドショーコメンテーター」というのは本来「代弁者」として生まれてきたものなので、単純に「代弁されてきた人」が可視化されてきているだけではないか?
    • ここに関しては頷けるんだけれども、それでもやはり「代弁されてきた」ではなく「そう育ってしまった」層もいるよなー、と思う。
      • ここらへんはメディアや教育の力ってすげー、という話にしかオチない気もするんだけれども、それでも何か結論っぽいものを置くとするなら、「頭の悪いことはちゃんと頭の悪いこととして扱いましょう」とかになるかなあ、俺としては。
        • そこでいうと、明確な指針に則った「優越感ゲーム」を、俺は肯定したい。「見下し」「煽り」が文化を発達させる側面があるように。
  • ワナビー・マジョリティ」が進化すると「ワナビー・コメンテーター」に
    • 前者は「頷き」による一体感を求めて「書き込み」ボタンをクリックする。後者は「頷かれる」ことによる快感を求めて、何かを「代弁」しようとする。
  • で、「娯楽としてアリ」に話を戻すと、居酒屋や床屋的なものであるならそれはそれで、ということに(アルファブロガーのコメント欄)。
    • ネットはフラットなので、「床屋にいてはわからないこと」がちゃんとツッコミとして機能すれば理想、ということにはなる。
      • けどちょっと難しいわなー。わざわざコスト支払って床屋に出向くのかっつー話でもあるし(距離的にはネットで0にできるが、コミュニケーションコストやリスクはツッコミする側が負うことになるし、大抵の場合床屋がヒマで床屋以外が忙しい、という非対称性がある。)

ここ重要なのだが、「床屋はヒマ」というところから、「床屋にいてもわからないことをヒマな時間を使ってしっかり調べろ」となると真っ当なジャーナリズムの方向に行くと思うんだけど、まあ、床屋は床屋から動こうとしないよね、みたいな部分はあるなあ。
ま、床屋=PCの前、くらいの意味で。

    • 分をわきまえた「居酒屋」「床屋」的なものは、それを「外部に出してはならない」という意識も込みでなされるものではないか。
      • でもまあ、「上司の悪口」だったら暗黙で通じるけど、相手が国や政治、マスコミとなっちゃうとそれも通じにくいか。
  • 「○○には××すればいい」という記号
    • まあ人間は楽しようとする生き物なので、そういう理解の仕方が楽。
      • 誤用の再生産
        • →「そういう風に教育/学習されちゃった人」はどうしても、いる。
          • これはもう単純に「そういう風に教育/学習されちゃった人はかっこわるいよねー」と言ってくしかないんではないか。もちろんオフラインで身近な人にはちゃんと話してあげるとして。

あとここらへんのことを踏まえたとして、本当に「ネットによって何かの仕組み変えよう」とするならば("マスコミ"みたいなものを越えていこうとするならば)、必要なことはまだまだ色々あるよね、という話にオトすときれいかな、などと思った。まあ俺はゲームで遊んだり友達が欲しい方が欲求として強いのでそういうことには疎いのだけれども。