アリとキリギリス(笑)

最近ゲームばっかりやってアルジャーノンよろしくどんどん物を忘れていくので書いておく。
http://d.hatena.ne.jp/setofuumi/20071119#p3

私はアリ、あなたはキリギリス。(中略)「ガッシボカ」キリギリスは死んだ。

というのが出てきた過程

  • 名文、名言といったものの出来上がった良し悪し(権威と呼ぶのだろうか)を利用する。まあこれ自体はよくあること。
  • つまるところ創作なので、書き手の好き勝手に動かせる
    • よっぽどものすごいケースでない限り「あなたはキリギリスだ」と面と向かっては言わないので、創作ってことにしとけばおっけ。
      • でも実際面と向かっていってるケースも見たことあったりはする。
        • それがものすごいことなのは解説不要だとは思うが、なんだろうな、「あいつって○○しそうだよな!」はもちろん失礼だし、それが「あいつって○○するんだって」になったらだいぶ深刻ないじめの様相を呈してくるよな、といったところで。
  • でもまあ創作は創作なので。
    • でも創作方面でも負の意味でのドリーム小説だとか、(これは二次創作限定だけど)メアリ・スーが嫌われることがある、とかはあるわな。
      • あと創作、物語に私情が入ってたりすると、まあ私小説ならアリなのかもしれんけど、あんまりお行儀のいいものとはされていない気がする。実際どうなんだろう。
        • 創作の中に自己を投影するみたいなのは決して悪いことではないよね。(ここらへんメアリ・スーに関して、便利でネガティブなレッテルにならないようにとの配慮から色々書いてあった)
  • あと私情的な意味においては、想いがあるのなら*1それを伝わる手法で伝えねばならないわけで
    • そこで「創作にする」ってのは、悪い手段ではない、が、どうなの、とか
      • どこに向かって最適化された手段なんでしょうか?といったところか。
  • ちょっと追記しておくと、ネットは何でも可視化されるので、「創作」も、その書き手の「私情」もセットで見えてしまう、とかありがち。それを意図するかどうかは別の問題として、やっぱそれは「創作」の価値を高める方向にはいかないのではないかなあ、と思う。筒井康隆朝のガスパールや、ひぐらしなんかに代表される「ネットを追い風にして盛り上がる同人ゲーム」的な流れなんかだと、それが作品の持ち味の一つにはなったりするんだけど*2、そういうのはかなりのレアケースで、なんかうっかり創作以外の情報まで可視化されちゃってなんかもやもや、みたいな感じになることが多いように思う。いまのところ。
    • これはもちろん、ネットが当たり前になったこれから、色々と変わったり変わらなかったりしていくであろう点だと思っている。

*1:そしてそれを自分の内部で消化する、という選択肢を取らなければ

*2:インタラクティブ性がどうこう、とか