ニコニコ動画に動画をアップロードした話。あと創作論っぽいものと通貨の話について考えたこと
以下ことの経緯
- とあるマイナーなゲームを知人と2人でプレイするのが通例だった
- デジカメ(と固定するのに便利な脚)を入手したので、撮影してみようという話に
- (俺は回線が遅いので)知人が加工してニコニコにupしてみる、という流れ
以下起こったことと気付いたことと考えたこと
- 知人の動画編集技術がどんどん上がっていって笑った。検索と多少の時間があればある程度までは把握できるっぽい。
- 「公開した動画に反応がある」というのはなんだかんだいって快楽を生む。反応あるとうれしいと思う反面ちょっとヤバいなこれ、と思ったりするような感覚。
- とはいえ、動画加工の段階で結構な作業量になってしまうので、知人は数回やったら「もう満足したのであんまり頑張る気にならん」とのこと。
- 知人がそれとは別に趣味の動画一本作ってあげたのと、ニコニコ動画内の再生数やコメント具合からかんがみて、同ゲームの違う遊び方の方がウケる、という事情もある。
- とはいえ、動画加工の段階で結構な作業量になってしまうので、知人は数回やったら「もう満足したのであんまり頑張る気にならん」とのこと。
- ちなみに俺はネット上で知っている人数人に対してウケていたのでもっとあげてほしいなあ(俺の回線と時間が許せば加工するのになあ)と思っていたりした。
- 視聴者に満足な情報を与えよう、という意図で動画を撮影しようとすると、動画加工を含めて必然的に余計な動作や工夫が必要になってくるため、「2人でゲームをやって楽しむ」という基本の部分に若干食い込んでくる。
- そこまでやると本末転倒になるし、前述の通り他の遊び方と比べてそれほどウケなかったのもあり、過度に工夫することはなかった。
ここからちょっと脇道
- 「金銭のやり取りではなく感謝や反応のやり取りで成り立っているから○○は素晴らしい」的な物言いを時折見かける。
- これに対して、「感謝や反応」が貨幣化してるだけで何も変わってないんじゃねーの、という物言いも時折見かける。
- もし自分と知人が「視聴者のために、それまでのゲームプレイのスムーズさや楽しさを若干削る形で工夫や加工をして動画を作成する」行為を行った場合、どう評価されるんだろうね、というのは考えたりした。
*1:厳密には、ニコニコを利用しているとあるゲームの愛好家たち