何かを語ることと、過去と未来について

考えていることを極力単純な形で文章に起こしてみる試み。

参考
http://d.hatena.ne.jp/setofuumi/20081011#p1
id:lakehill
id:crea555

  • 出発点

自分から見て、「過去を改変する意志」を感じない層がある(便宜的に「P層」と呼ぶ)(なお、「少なくとも自分が観測した範囲では」が全ての文頭に入るので省略する)

  • 「過去を改変する意志」解説

P層は「思っている、考えていること」を様々な形で書く。書いたものに何らかの反応がある。が、その反応を受けて、過去に書いたものを改変(再審査、再思考)する…ということに対してひどく消極的に見える。

  • それは「過去の美化」なのか?

自分にはそれは「過去の忌避」に見える。P層は「未来への希望」は忌避しない。彼らの「現在」がどこにあるのか、よくわからない*1
過去からは切り離されているように見えるし、かといって未来に接続されているようにも見えない*2。それらは各論では悪いことではないにしても、なにかひどくバランスを欠いているように思える。

  • 過去を改変、について再度

非P層、「過去を改変することに積極的」な層(便宜的にN層と呼ぶ)は、やみくもに改変するわけではないし、いわゆる「無謬」とも違う*3。「過去」を「誤り」と「そうではないもの」とに分けて*4、再度思考し、語り直す。そういったイメージ。

  • N層における過去現在未来

現在は過去と繋がっている。故に改変しなければならない*5
(過去を含めた現在から地続きの)「未来」というのは、N層が語り直す先にこそあるのだと思う。と思いたい。

  • 物語

飛躍すると、「物語化」というとき、本当に「物語化」できているのは、N層のそれのような気がしている。

参考
http://someru.blog74.fc2.com/blog-entry-108.html
から孫引きするならば、「過去についての希望」というのがそれにあたると思う。そしてそれは、言葉で、祈りで、物語なんだと思う。

少なくとも自分はそう呼びたい。

*1:わからないことを「P層」と呼んでいるのかもしれない

*2:ここ表現が乱暴すぎる

*3:そういう層について語る必要がてきたなら、また別の呼び名で語るだろう

*4:分けるだけではないので「改変」と呼んだのだと思う

*5:これは論理や政治的正しさではなく、「自分のために」