9/27ustのトピック抜き出し

文字起こしでもなければまとめでもない抜き出し。
音声はhttp://www.voiceblog.jp/setofuumi/


東京ブロガー問題
…という問題があるとしたら、インターネットでなんだかんだやった結果、集まりやすい場所に集まりやすい人が集まってよろしくやること。よろしくやって、おしまい。くらいの理解。

大昔、テキストサイトからそのようなことはずっとずっとあるし、出会い系はずっとある。
Mixiやモバゲーなどが出会い系に、みたいなことは自明だし、twitterなんかも例外なくそうなってる。
飯は食えばいいし酒は飲めばいいと思う。大事だし。

既存のもの、「人間関係」
人が集まって飯を食うような関係ができたら、自然とネット的でないフツーの人間関係になっていく。

「ネットがあったからこの人とつながれた」ということはある。
「やっていること」はネットがあってもなくてもかわらない(その事例においては)
地方視点では、「人間関係」は、その地方のものである。身の回り。

ネットだからできること
既存のものではない。というもの。
出会い系はずっとあるし、飯の相手を探す手段としてのネットもありうる。→setofuumiさんにとっては、その手段としては無理だったので、他のことを求めた。


記憶に残ってるのは、「生きる」「pingが届く」という表現
飯を一緒に食う、という関係でなく、互いに認識しあっている、というだけの関係性。
今のこの話はネットがあったからこうして話している

東京在住自由な人限定な話→ネットの話、としてなされるんだけど、ネット的ではない、という認識をしている
リナカフェなう。
酒を飲む人間関係も大事だよ!

(ネット的な何かは)「どこにあんの」
→それ以外のすべてはネット的、水か空気のようなもの、とはいえる。

PSOにおいてフランス人と意気投合する楽しさ
pingしか通っていない」、「ゲームする」という一点だけ被っている。被らないが濃い関係。

リナカフェなう、みたいなのは半径3mのはなし。場を共有できる。

距離やその他もろもろをショートカットいて「濃く」共有することはできる。
その違いから出る面白さもあるっちゃある
東京-フランス、東京-東京。
仮想敵:日本語クラスタ→SorryJapaneseOnly!

俺とななしのさんも、新幹線で3時間の距離でしかない。とは言える。
でも新幹線に乗って会って酒は飲まない。飲むときもある。今はネットでしゃべってる。

ななしのさんの心霊スポットUST→Pingをとばそう、という試み?→(意図はあまり問題ではない
→内輪的な部分、コンテンツとしてどうなっていくか

伊集院曰く「池田が」よりも「ディレクターの池田が」のほうが視聴者に近い。
それはグラデーションなのではっきりは、しない。「ディレクターの」は万能ではない。

ブロードキャストすることそのものは、いいこと。→身内向けをどこまでどうするか?
→JapaneseOnly!→とかいうところは切り捨てないといけない。池田は、はどこまでいっても池田。→言わなければいいのかっつーと、ラジオの面白さ的には切り捨てられない

わかるひとにしかわからない、はあってしかるべきもの。悪いことでない
「SorryJapaneseOnly」すげえ!インターネッツの怨念を感じた。

とりあえずのきめ打ちとして「言語はしょうがない」
→距離時間世代(あと職種?)とかは乗り越えていただきたい
そこを越えていくのが、インターネット的な面白いこと

最近は動画をリアルタイムで配信する、が簡単になってきた。格闘ゲームの大会なんかはわかりやすく恩恵を受けている。テレビでやらないことを受け取って、それで共有できる。

東京ブロガー問題ってのも、距離を越えているからこそ発生している。
リナカフェなう、は知らしめているからいいんじゃね?おのぼりさんは観光にでもいけば?
まあリナカフェは例としては微妙。オフラインとオンラインが混交しているから。

ななしの:ゲームのことかいてる。気合入れては書いてはないけど、多少はきにする。先輩のブログは解説不要に面白い。とても面白い。自分のはゲーオタ用への文章なのかも、pingが届かない?→それは届いてると解釈していいし、「誰にでも伝わる」は理想なので現実にはありえない。
切捨てはある。プロじゃないし。受け取る側の問題ではある。

akuryoku:「世界的になりたい」
気持ちの問題。意図。

届くべきところに届いてほしいし、そうすればはっぴー。
発信者、書き手がどこまでやるか?
matakimika[狭いと手元間隔があって楽しい]
書き手は何を求めるか?
「反応の予測ができるならそれに準拠するのは当然


書き手の姿勢、意図。内向き外向き→その結果はイコールではつながらない。別の問題。
→意図としては、「ディレクターの」程度でいいし、それしかできない

「未来の自分」がやっぱり一番でかいので、そこ基準でおっけー、って話になった。
未来の自分が想定するべき他人であり、それ以上は考えなくていい。基本的には。
これは、言語、表現、レトリック的な問題として。

「どこにあるか?」「あなたのFavやRSSにある。」これは真理。

忘れることはしかたがない。


半径3Mの話と言うのはある。内向きになることもある。
が、それが「外側に伝わる」ことはある。ありえる。
食事の写真をあげる、はアリかもしれん。伝わるから。
「酒の話」「オフレポ」を外側に伝わるように書くことは可能(伝わることはありうる
心霊スポットめぐりもうける可能性はある。意図に関わらず。コンテンツになりうる。

技術がコミュニケーショにどう関与していくかの模索に見える(matakimika
スイーツ日記Dis!だ→いやアリって話ですよ!

食い物の写真を見て元気になる人いる?→グルメ番組の価値はある。
それは人間の暮らしなんだろう。食い物写真は。
まあそれこそオフラインなら「何食った?」「あれうまかった」という話は当然する。
それがネットのインフラにのっている。

ラーメン次郎の話は?
よく知らないフランスの料理とかとあんまりかわらない。剣と魔法レベル。へえ。って。

ラーメン理解できん。自分でも不思議。→ジャンクカルチャーなのでわからなくても…
うどんそばだと満足するけどラーメンで満足できない。

微妙な差異を楽しむ遊び→ゲームとかといっしょ→食い物でそれはやらないなあ…
→毎日いわゆるお膳を食べるんだけど、それの差異は意識するようになるかも。強制的に毎日食うから。
都市圏だとラーメンを半強制的に食うような状況なんだろうか?

mtakimika:受容と返信がメディアっぽさとしてとらえられる??


地方を活用する、みたいなのは、自然に行けば、都会は都会で、地方は地方でよろしくやっていく、という話にしかならない。(それはネットがなくてもいいよね、ネットは便利だけど)

反応があれば楽しい。反応準拠。予測ができれば準拠するのは当然。動機のたいていはレスポンスがくるからなされている。あたりまえの話。
「広く外側に向けば世界とつばがれるよ!」と「内側にこれを投げればこれが帰ってくるよ」だったら後者を取るのは当然の話。
っ反応ありきなのはしかたがない、それはそう。
でもそれだけだと、刷り込みで最初の場所にずっと拘泥されていくことになるよね→いやそれけっこうふつう。Mixiだけしかしらない、yahooしか見ない人は無数にいる。
→「ネット」を意識した何かなら、そこからは脱していく方向がほしいよね。と思っているのかもしれない。
でも生活の中でネットを使うと言うのはそういうこと(食い物の写真を取ってMixiにupすること、くらいの意味)

「リンクをたどっていく」という広げ方、開拓する方向は、ネットの自然な流れだし、それは自然と発生するとおもう。そして、それは読む側の意識。それは大事。
→書き手としての意識でそれをやる場合どうなる?

→特定文化準拠の「書き込み」は敬遠される事例はある
「異文化」「開拓」というものの、書き手としての意識はどういうところに意識すればいいのか?という問題意識なのかもしれない

事故おもしろい!という意識。「読み手として」「書き手として(当事者)」
面白い事故、そうではない事故。

「オフありのほうが面白いよね」に対抗できるか。
「コンテンツとして」オフでどうこう、はいい方向。
それを「オンラインコンテンツ」とできるか否か、って点に絞られる。それは可能。

毎日あって話す、ってそんなに魅力的でない。2ヶ月に一回くらいがーっとはなしたほうが面白い→ネット的といえるか?

オフのほうが面白い人、オンのほうが面白いひと
→オンオフどっちでもいい。面白いのがハッピー。
→が。アウトプットの最終形はインターネットになるので、そこでどう、って話になるか。

matakimika:日常はつまらなくていいものである、という価値観?(ここもうちょっと聞いてみたかった

「○○とか近くにねーよ」
2ch文脈の大規模オフ?オフ板事情はよくわからん。駅前に集まって何かやるベクトル、昔のラジオの良くわからない集まり。昔のほうがローカル意識があった?
2ch初期はローカルなほうを向いていなかったっか?→いやそうでもない。

ネットの発達によってどんどん狭い方向(→出会い系?)にむかった?
twitterはそういう使われ方に近い
こまごまとつながれる。細かく再分化された中で、会う。
まあそれができるんならそうやってマッチングできるのはいいこと。よろしくやればハッピーである。

→「反応」準拠なら、その繋がり方は強い。とても強い。オフすれば反応はある。
→さらに、それはネットにはアウトプットされない、されにくい。わかりにくい。出会い系の結果を詳細にわかりやすく書く人はあんまりいない。書けない要素も出てくる。

ネット以前はほぼ全部が「オフ」でありすべてがオフレポだった。

ネットによってできるようになったのは、より手軽にオフでつながる手段、
そして、アウトプット、ブロードキャストできるようになった、という話。

個人的な感覚として、「オンラインで得たものはオンラインに返さなければならない」という意識がおぼろげにある。でないとうしろめたい。当然かけないことはあるし、めんどうだけれど、基本的な姿勢として。

世の中のあまねくなにかはオフである。


オンは興味ドリブンでオフは信頼ドリブン
生身とWeb人格の切り離し?
twitterはオンオフ関係なくだらだら流れてくる。そう使うことになってる
ブログのときはそれらをある程度切り分ける意識はあったかもしれない。

「知り合いと飯を食いました」はセーフ
「そのときの会話の”ノリ”で書く」のはどうか。(ネットにおいて、その知人に向けて書く?
→(Mixiの使われ方なんかはそうではなさそう


→ここから「オンでなければならない」「オンやりこみ」が「はてな最適化」となって、「なぜメールやメッセンジャーでリサーチをしないのか、」という話に接続

一歩目でグローバルな方向に向かおうとして、ローカルな足場を固めるのを忘れて、あるいは意図的に無視してしまう弊害?