消した部分とか

http://d.hatena.ne.jp/setofuumi/20100617#p1

で書かなかったことをざっと。

  • 単純な話をすると、「コミュニケーション」「対話」という言葉の使い方がバッティングした、という話になると思う。俺はそれを「ゲーム体験」みたいなものとして認識していたので。
  • ニワカな俺が言うことでもないと思うんだけど、「面クリア型STG」というのは結構な歴史があるし、「ビデオゲーム」と呼ばれた時に含まれる意味をかなり持っている、と思う。で、その「面クリア型STG」という形式で作られている以上、その文脈から考えるのが筋なんでないの、という。
  • もっというと、当初はボムなんてなかったし、「ボム」というのが採用されて、普及して、作ってる側が色々工夫したり、プレイヤー側が工夫して攻略したり、スコアの問題から「ボムを使うと格好悪い」みたいな偏見が生まれたり、それを否定したり…とまあ色んな事情がある中で、「ボムはコミュニケーションの否定/失敗」というのも大概なんじゃねーの、というのはあった。
    • そもそも東方はキャラによってショットが違うしボムの名前も表現も効果も違うし、そんな風にちゃんとデザインされているものをむげに扱うのもなんかもったいないと思う。
  • あと引用部の表現だと、だいぶメジャーな用語であるところの「決めボム」をどう解説するんだ?という疑問が。
  • ちょっとめんどくさいところに踏み込むと、「作者の意図」と「ゲームプレイ」はイコールにはならないよね、っていうかまあこういうのは折込済みで書いてあるとは思うんだけど、「プレイヤーが目的を持ってプレイする」のは自由なので、そこで作者の意図が、と持ってくるのはちょっと筋が悪いかな、と思う。まあ「自由なんだ!」というとあらゆる話が意味が無くなって終わるのでそれは回避するにしても、だったら「面クリア型STG」という文脈が無視できなくなるよな、という。

追記

ちょっとツッコミが入ったので書いておく。

「ノーボムの方が良い結果」というデザイン自体なら、スコア増という形で昔からずっとありましたよね。東方はその「良い結果」をスペカという形でより細かく目に見えるようにしたからモチベーションになる…というのならわかります*1。わかりますが、それは「面クリア型STG」という形な以上、「トータルのゲームプレイ」(「面クリア型STG」なら、スタートからAllクリアを目指すプレイ)に従属するものでしょう。第一、常にノーボムを狙っていたら最終面にいつまでたっても到達できないし、練習モードで繰り返すこともできないし、エンディングも見れない、と俺なんかは思います。まあここは「一般的な東方の遊び方」がわからないので書きませんでしたが。

スペルカードはノーボム前提だし、「そうデザインされている」というのは否定しません。「作者が言いたかったことは何でしょう」式の問いがあったらそれが正解でしょう。けど俺からすると「トータルのゲームプレイ」を覆すほどではないと感じます。覆ってる可能性があるとしたら写真の方って話で。
で、「コミュニケーション」という言葉を使うのならば、それはスペカを巡るモチベーションよりも、トータルのゲームプレイ(攻略する)過程そのものの方が、より「コミュニケーション」らしいと思うわけです。これが「言葉がバッティングした」というところです。

あとコメント反応ではなく余談として、↑で「めんどくさいところ」と書いた部分をもうちょっと書くと、「プレイヤーはゲームのデザイン(作者の意図)から外れた遊び方もすることがある」というのは広義のゲームに関するあれこれを巡る話においては一般的な認識だと思っていて、それを「ゲームとプレイヤーとのコミュニケーション」と呼ぶこともままある、と思っています。なんだけれども、そういった「広義のゲーム」に関することにも触れているはずの福嶋亮大って人が「(作者の意図によれば)ボムはコミュニケーションではない」ともっていくのがよくわからんなあ、というのが疑問だったりします。

*1:360の「実績」に先駆けていた、という言い方ができるかもしれませんね