音ゲーの話をしたときの内容の文章化をする
http://www.ustream.tv/recorded/13224942
で話したがやっぱりぐだぐだで何を言いたいのかわからない感じだったので改めて色々書き出す。はっきりと主張したい内容があるわけではないので本当に文章化するだけ。
自分の体験、プレイヤーとしてのスペックはDDRとDanceEvolutionをそれなりにやった。他の音ゲーは適当、といった感じ。基本的にDDRとダンエボの対比になります。
- まあ15年くらい続いてるので色々ありましたね
- 「傍目に見てなんか変だ」という問題は常にセットになっていた。
- 他者の目を意識したパフォーマンス文化もゲーム方向と別に成長していった(ここは詳しくないので詳しい人にまかせる。)
- ゲーム方向でも色々あった
- http://d.hatena.ne.jp/WAFL/20110222/p1
- ここで描かれている内容は、DDRのそれとかぶる部分が多い。
- それなりに見てた感じだと、ネット上のダンエボに関わる発言の中に「ダンスとしてどう」という物言いは一定数存在した。
ゲームとして
「音楽」「ダンス」「ゲーム」
- プリミティブな「音楽」「ダンス」を巡る話としては、「音があって体が自然に動く」みたいな話はある。
- 逆に、「指示に従って学習し完璧にこなす」という、プリミティブなゲーム体験、みたいな話もある。
- kinectというのは「体の動きそのまま」というのがウリではあるのだけれども、だがしかしゲームは「インターフェースへのインプット」と「画面に表示される情報」と、「それによる結果のアウトプット(デジタルな点数とか)」というのがそれぞれ存在している、と自分は思っており、「kinectのゲーム」もその構図は基本的に変わらないと思っている。*1
「ゲームとして」
- 「ゲームマスターの代わり」というところからいくと、「何をどう判定するか、スコアを出すか」というのは、製作者がどうプログラミングするか、という話になる。
- さらにいうと、「製作者がプログラミングした判定」とプレイヤーが数年にわたりコミュニケーションし続け、行き着いた先が「DDRDP最高難度ノンバー動画」みたいなものであるので、俺はその方向は伸びていくべきだと思う。
- WAFLさんの文章を読んで不気味な高得点リプレイを肯定したい、といったのはそういうこと*3
- もう一歩踏み込むと、「ゲームとして」考えた場合、「何を目標とするか」はプレイヤーに委ねられている。最高得点を目指すのか、ステージクリアを目指すのか、実績解除を目指すのか、あるいは個人的に設定した目的の達成を目指すのか。
- それらは全く別々のプレイとして存在するし、否定されるものではない。そしてそれはプレイされるごとに洗練され、独自の動きになってゆく。
結論としては、人それぞれであるところの「プレイヤーの目標」が、阻害されることなくそれぞれに洗練され、プレイヤーの快感を生みだしてほしいし、そしてまた(それが本当に洗練されていったのなら)俺はそれを見てみたいと思う、というところになる。
永田泰大という人が書いた「ダンスは続くよ」という文章において、人はゲームと相対してある瞬間が訪れた時にその人固有のダンスを踊るのだ、と書いていたんだけれども、気分的にはそういうことである。ダンスだけに。