ゲームを熱心にやることあるいは上達することについて

http://twilog.org/setofuumi/date-140619

ここらへんのログから。

ひとまず詳細を聞かれた「モンハンだけうまい人がいる」に至った道筋をふわっとした感じで書いていく。
かなりふわっとしたまま書くのでそういうものと思ってほしい。

ゲーム性だーっ!って言われるような話って話者が若いとじゃあしょうがないよね、となる典型だと思ってるんだけど、実際はネットや全国ランキングの波が来る前にゲームを卒業できたオッサンが多い印象ある

若いならいい、というのは若いと単純に経験が少ないというのと、「若い時にハマったもの」がその時点においてその人にとっての世界の中心になってしまうことはよくあることだし殊更に否定するものでもない、と思っているため。
私見なうえに脱線するが、年齢と経験が増えていくとそういうのが落ち着いていくのだがそれは「そのハマった趣味を継続する」とは別問題なので、そのハマったもの(およびそれに伴う行動)をいたずらに黒歴史と呼んだり(インターネットにおける用法での)中二病と呼んだりするのは俺はあまり好きではない。落ち着いた上で趣味を継続することもできるし、落ち着いてその趣味を切り捨てていくのもまた一つの選択である。


本題に戻ると、「ネット以前に卒業できた」というのはネットでの全国ランキング、全国対戦、あるいはインターネットによる攻略情報の共有、さらには価値観の共有といったファクターを経験せずにすんだ、ということで、想定していたものとしては『(様々なゲームの様々なプレイスタイルが流行り廃りしている現代で)ドラクエはぐれメタルを狩り続けるのがガチのゲーマー』みたいな発言である*1

ネットの波というところで言うと、5押すゲームはともかく現代の家庭用ゲーム機やゲーセンでちゃんと熱心にゲームできてる若者って(全国ランキングの問題でなくゲームと自分の関係という点で)すごいエリートだよな、と思うことがある。

その上でこういう発言になるのだが、これはいわゆる「知の高速道路」理論みたいなもので、それまではローカルで止まっていた情報が一気に共有されて全体に普及することであったり、それまで学校や町単位で一位、みたいなレベルで争っていたものが一気に全国ランキングに放り込まれたりといったものを想定していて、その高速道路が整備された状態でもモチベーションを保って何かを熱心にやれる、ということはそれだけですごいことであるなあ、いったもの。
また、『ゲームと自分との関係』と書いたのは、そこで「モチベーション」といった時にそれは「全国ランキングで何位」というものだけになるのではなくて、(高速道路はできたが)自分の周辺にいる人との関係や「自分がゲームをプレイすること」そのものへの考え方、あるいは「ゲームをプレイしたその瞬間の感情、感覚*2」などが問われる、と思っているため。

ゲームのゆるさやハードルの点だと、俺は詳しくないんだけど「モンハン”だけ”上手い人が全国に割と存在する」というのは結構重要なのではと思っている

そして本題のこの発言になるのだが、これはやや飛躍していて「知の高速道路化」と90年代後半らへんで流行った「ヘビーユーザー/ライトユーザー区分の乱暴さ」が混ざって出てきた発言だった。

順番に書いていくと、

  • インターネットによる知の高速道路化で"全国レベルになるためのやり方、あるいはそれに必要なもの"は簡単にわかるようになった
  • そこにおいて"熱心にプレイすること"や"やりこんで上達すること"は、ともすれば「高速道路に乗ってそこを全速力で走る(ありていに言えばネットのテンプレをそのままなぞる)」ということになってしまう部分がでてきた(個人の印象です)
  • 前述したが「ゲームを(熱心に)プレイすること」においては、「全国ランキングを目指す」のほかにも様々なモチベーションが発生しうるし、それは大事なことだと思っている。
  • ここで若干飛躍するのだが、「ネットのテンプレをなぞる」「全国ランキングにこだわる(全国一位のプレイを基準にしてゲームを語る)」ことが「様々なモチベーション」をスポイルすることは良くない、という想いがあった。
  • その想いを構築する上で、本題の発言が「重要になるかも」といった意味で発言した。


ではなんでそれに「モンハンだけうまい」が重要かもかというと

  • 彼らはネットの情報は使うし他者との比較はするかもしれないが、「全国ランキング」には拘っていない(どちらかといえば周辺の近しい人のほうを向いている)
  • 彼らの中には旧来(80、90年代)のゲームの文法を知らずに「熱心にやりこんだ」人が一定数存在する(つまりモンハン”だけ”の人)
  • 「旧来のものを知らないのにハマった」という意味だと、過去にあった「ヘビーユーザー/ライトユーザー」であるとか「ガチゲーマー/ヌルゲーマー」というのは個人の資質によるものではなくて、ささいな好みの違いや特別なゲームとの出会いの有無によって簡単にひっくりかえるものである、と言えてしまう(これに自分は肯定的である*3
  • モンハンは特に「仲間内で」やることが大きかったゲームであり、これは「高速道路に乗って全速力で走る」こととはベクトルが違ってくる。個人的にはゲーセンにおけるコミュニティ(での狭い競争や情報共有)であるとか、成人男性の一部がゴルフや麻雀において「アマチュアとして」比較的ハイレベルな位置まで「やりこんで」しまう例などを考えていた。


こんなところを想定していて、それは「ネットのテンプレをなぞる」であるとか「全国一位のプレイを基準として語る」といった行為とか若干ズレたところにある*4と思っていて、「ゲームを熱心にやる」ということを考える際に良いサンプルになるのでは、いったことを考えて本題の発言になったのであった。



今のところこんなところ。

  • 追記

そもそも「ゲーム性だ!」が意味わかんないので解説すると、自分が好むゲームに含まれる要素をざっくりと「ゲーム性」と呼んでしまう、あるいはその上でゲーム性が「ある」「ない」と断じてしまう行為の馬鹿馬鹿しさを表現した語句です(当然それは他人と共有できたりできなかったりするので、ざっくりとした表現で語っては齟齬がでるし、齟齬が出ると予測できるならなるべくやらないほうがいいと思う)


以下のコメントをいただいた

向き・不向き、上手い・下手に難度は関係ないんですよー、という話かと思ってました。モンハンってむずいですし。

これは書きながら思っていたことで、ヘビーライト、ガチヌルとくくってもしょうがないよね、と言っている時に考えていたことを一致します。

「人それぞれ」っておっしゃりたいわけでもないですよね

というコメントもいただいた。もちろんそうで、もっというと「ガチゲーマーもヌルゲーマーも人それぞれ」みたいな表現がすでに"ガチでやる" "ヌルくやる" とゲームプレイを狭く規定しすぎている…と思っていて(それはある視点から見たうえでの「ガチ」「ヌル」なので、視点が変わればその見方も変わってくるはず、という)、そしてそれは本文に書いたように、ゲームとの相性であるとか、周囲の環境であるとか、ささいなことで変化しうる、単純にいえば触れたゲームごとにその人のリアクションやモチベーションは変わるはずだ、ということを思いながら書きました。

*1:自分はこれをゲームにおける"馬鹿馬鹿しい発言"の代名詞だと思っている

*2:要するに『ボタンを押しているだけで楽しい』とかそういうこと

*3:90年代に連載された「ゲームの話をしよう」では、「いわゆるライトユーザーと呼ばれる層にもハマったら異常なまでにやりこんで攻略しきってしまう人は存在する」という内容の回があった

*4:もちろんそれらが"まったくない"とは言えないとも思う