onoff比較若干追記

ざっくばらんにいってしまうと、ネット非ネット関わらず、論理的ではない事柄に関して「○○では、こうだ」というのは、本来的にはものすっごく限定された範囲の、狭い範囲のことしか言えないわけで、入社して2,3年の社会人が「社会ではこうだ」「会社ではこうだ」果ては「日本はこうだ」「人間はこうだ」と言っちゃうとおやおや、と思われるよな、といったような感じ。ここらへんは「自分のポジションを隠したままなされる発言は眉唾」みたいな話に多分繋がっていくがあんまり深入りはしない。
で、じゃあ自分のこと以外は語れないかというとそういうわけでもなく、担保を確保しつつ*1「私の会社で経験したこれこれこういうケースでは…」と言えばそれは真っ当な情報になるわけで、要するにコストをかけないとちゃんとした情報(あるいは物言い、発言、議論)にはならんよね、という。
ただしここらへんは「情報を提供する」とか「他人にダメ出しをする」とかの目的や意思と関係していて、「○○では、こうだ」というのは得てして他人へダメ出しをするために悪用されることが多いようなので多少大きめのコストを要求されるよね、という話になるか。土木作業現場に見ず知らずの他人(しかも詳細な情報を辿ることが出来ない)がいきなり突っ込んできて非論理的に「こうだ!」とダメ出しされても「左様でございますか」「邪魔だから帰ってね」としか返せないよね、といったように*2
今日ここまで。

*1:曖昧な表現だが、まあ、色々モノ書いてれば勝手に発生するもの、くらいのニュアンス

*2:ここを逆に言うと、論理的な意見か、「この情報は有益だ」と信じさせるだけの担保、ラベル、権威があればそうとは限らない、という話になるんだろう

消費者(下書きあるいは自分への手紙)

永田泰大はゲームを作っていないし*1山際淳司は野球が上手いわけではない。
両者とも好きなものはいいというし、嫌いなものはだめだという。
俺は彼らを尊敬してある意味神格化しているけれども、それは結果としてそうなっているだけであって、「尊敬しているから特別扱いしよう」と思ってそうしているわけではない。「ものすごく上手にやればあのようなもの(人)になるのだ」という基本的な考え方があるだけである。
それは自分が好きなものに対する礼儀のようなものであるし、同時に、それら好きなものを後から追うもの、あるいは新たに現れる好きなものの可能性をスポイルしないために、そうしている。
そういったものを持たないままに、あるいは「特別扱い」で除外して、自分が好きなものの存在や可能性を否定してしまう物言いというのは、その物言いをする人にとって大変不幸なことであると思う。

*1:あ、製作協力はしてたな。