第二集団からの視点について

2006-03-07 - 瀬戸風味@はてな

体験せずに猫知り顔で語る奴らに泥団子を投げろ! - ARTIFACT@ハテナ系

すごい人は確かにいる。それに対して「先人に永遠に勝てない」と思うか、「少しでも近付こう」と思うかという違いか。

自分の場合、すごい人から面白い話をいつも聞かせてもらってるなあ、自分も拙いながらも自分の考えを人に伝えたいなあと思ってやっていて、ずっと第二集団だと思っていたら、いつのまにか第一集団に見られているという感じ。

といった具合に取り上げられたので少し書き足しておく。
これを書いた時に頭にあったのはリンク先の冒頭の引用部分で、この吉田さんの文章が力のある言葉だというのは自分にもわかった。わかったんだけれども、そこにある「自分の言葉」と「他人の言葉」の対比がどうしても引っかかった。一連の流れからしてこういった表現になるのは仕方がないのだけれど(経験を嘲笑しちゃいけないとかはその通り)、直前でちょっとネガティブに書かれている「模倣や追体験」は、自分にとって切り捨てられないものだった。自分にとっての娯楽(と乱暴だがくくってしまう)というのは、「遠くにある何か」が「他人の言葉」によって伝えられるもので、そういった「模倣や追体験」こそが自分にとっての「体験」だった。それはつまり「送り手」や「作品」だけでなく「受け手」ですらも自分にとっては先を走る先人だったということだ。そして、そこでなんだかんだとやっている時に気付いたのは、「受け手」の中にも「送り手」や「作品」に負けないほど魅力的な人がいる、という事だった。
(トニオさんの今回の行動がマズかったというのはそれはそれとして)「送り手/受け手」の間の純粋な、生の関係は確かに嘲笑されるべきではない。けれども、「受け手/受け手」という関係だってまんざら捨てたものではない。という事が言いたかったのだがなんだかよくわかんなくなってきて言葉が出てこないので終わる。下手に例えるもんじゃないなあ。