オタク/サブカルと地方/東京

2006-03-15
主にオタ部分。「Webによってギャップが浮き彫りに」というのが激しく心を打った。ぶっちゃけ俺はオタになりそこなったクチなので友人に詳しく聞いてみたい。やはりここは字>絵>動画>現地というフットワークの問題になってくるのだろうか。サブカルはもっとわからんので詳しい人に任せる。

あとものすごく個人的な感想として、『「どういうオタになるか」という自由度の制限』という部分は地方在住である俺は(オタ趣味に限らず)強く抱いていたし、そしてそれを突破する可能性を雑誌やラジオの投稿という「郵便」に見出していたのだと思う(過去形)。

当時の自分には、そこは「採用」というルールに治められたとてつもなくフラットな場所に見えた。そしてそこには「採用者」がいた。Webにはない、絶対の存在。そしてその二つを共有し、デジタルな(採用数)、そして時にアナログな(馴れ合い)スコアや評価を競い合う我々というコミュニティ。

それらの場所で基準とされていたルールは、言葉であったり、絵であったり、ゲームのスコアであったりしたわけだが、「スコアを競うプレイヤー:ルールの下で判定するジャッジ」という関係がしっかりとあった、と思う。

そして今現在、ほとんどの足場は郵便からWebに移った。それまで拠り所としていた場所は、特定の雑誌やラジオ番組に限定されることはなくなった。当然ルールは拡散し、曖昧なものとなっていった。絶対の存在は、「みんな」というとてもとても心もとないものに変わってしまった。

競技場が消え、スコアがなくなり、ジャッジもいなくなった。そして、Web回線で繋がった膨大な数の「我々」と、その関係であるところの「馴れ合い」だけが残された。そんな感覚。そんな状況の中で、躊躇なく「プレイヤー」になれる人というのを、俺は純粋に尊敬する。自分語り終わり。