コミ通的なもの

http://fragments.g.hatena.ne.jp/dogplanet/20060324/p1
http://d.hatena.ne.jp/dogplanet/20060321/p2
コミ通、ラボ、表現者、広告 - 行乞記 - 断片部

ここらへんを読んでいて色々出てきたものをメモ。
「ゲームの話をしよう」に有名な人(宮本茂とか糸井重里とか)が出てくると、「面白さ」よりもむしろ「メシを食うこと」の話が盛り上がっていたように思う。そういったものがまず一つ。

10台のころ、雑誌やラジオなんかの投稿から「ゲーム(あるいはゲーム的なもの、もしくは娯楽)に対して恐るべき熱量と才能を発揮してしまう人間」を目の当たりにして、それに魅せられてしまったこと。そしてそれは「メシを食うこと」とは相反するということ。

自分は田舎の金持ちの息子であり、変な例えで言うと「エヴァパイロットにはなれない」ということ。加えて、「メシを食うこと」がハードルとして機能していないこと。



今現在の「ネットで大成功」は結局アフィリエイトに繋がっていて、それ以外となると投げ銭パトロンとか貴族とか)の話にならざるを得ないかなぁ、と思った。俺はもし遺産が入ったらむしろパトロンになりたい。けどそれは明らかに特殊例だ。

娯楽に対して「メシ食えないくせに!」という感情表現は一体なんなんだろうか。「けまらしい」? 俺にとって惑星開発委員会だとかネット上のアレコレというのは知識上わかんない部分も含めて、(書く側だろうが読む側だろうが)一級品の娯楽であって、「リアルなスポーツ*1」に匹敵するくらいの面白さを秘めているものなんだけれども、そこにどうしても「メシを食うこと」が絡んでくるのがいかんともしがたい。言うならばそれは「メシを食う仕組みができていない野球」だ。

ちょっとこんがらがってきた。ネット上のアレコレといっても二つに分けられる。野球をする事と野球を語ることだ。「する奴は偉い。語る奴はだめ。」という口だけ問題。ネット上で言うならば、音や絵や物語を作る人と、それについて語る人。俺というのは筒井康隆糸井重里のような「プレイしながら語る」人だとか、山際淳司永田泰大のような「語るだけ」の人を見て「いいなぁ」と思っているので、どうも「する奴だけが偉い」という価値観には首肯できない部分がある。いやイチローは偉いし、打ったり投げたりはイチローみたいな人に任せるとして、「イチロー以外」は一塊で一歩も動くな、みたいなのがちょっと気に食わない。仮想敵仮想敵。

閑話休題、つまり山際淳司とか永田泰大みたいなタイプの人を評価して、その人がその評価によって食っていけるような仕組みがあったらいいなぁ、と思った。でもそれはアフィリエイトで実現するのはちょっと厳しいかも、というのが心配。そして当然、ネット上におけるイチローみたいな人にとってもそれは同じなわけで、結局ネットはメシを食う手段になるのか!?みたいな話に。

んで、それを心配だ心配だと言っていても始まらないような気は、する。ぶっちゃけすぐにそういうシステムが出来上がって万人ハッピーみたいな状況になるのは俺が生きている内は無理かもわからんと思い始めてさえいる。できることと言ったら、「娯楽」を実行しようとする時、そして「娯楽」と出会った時に、「メシ」というフィルターを取っ払ってしまうのが手っ取り早い気がした。それは結局「いいものはいい」で終わってしまうのかもしれないけれども、それはそれで別にいいんじゃないか、と思った。音楽なんて、ヨーロッパの地方の貴族界隈とかアメリカの黒人界隈だけでも発展したじゃん、なら別にネット界隈だけとかはてな界隈だけでもいいじゃん、みたいな。それは屁理屈か。

*1:ゲ話の糸井対談より要約すると、「不要不急(つまりどうでもいい)ではない娯楽はスポーツだけ」、ケガしたり死んでも勝負に勝とうとするところとか。あと発展させて、孫正義(今なら堀江だろう)が間違ってるって指摘するより、その金もうけゲームへの執着ぶりを見て楽しむ方がスポーティーだ、とか。