http://d.hatena.ne.jp/zoot32/20060411#p1
を読んで思いついた。

彼女と話していると、社会経験のなさとは別に、働くということについて、あまり現実的ではない、過剰な期待があるような気がした。それは仕事が、イコール自己実現であったり、達成であったりするためだ。

彼女と話していると、娯楽経験のなさとは別に、娯楽ということについて、あまり感動的ではない、過剰な後ろめたさがあるような気がした。それは娯楽が、イコール自己否定であったり、挫折であったりするためだ。

「純粋な娯楽はどこか後ろめたさを感じるものである」 永田泰大