透明な存在になる前に

最近増えてきた空気や男女の話から。


空気嫁」にしろ「なにもわかってない」にしろ「理屈っぽい人は」にしろ、それは結局のところ「お前の言った事が気に食わない」であって、その原因だとか理由は隠されていたり曖昧だったりよくわからない。

もし、言われた者が悪意を持っておらず、むしろ善意を持っていたなら、「相手の気持ちを考えて」なんとかしようとするだろう。

なんとかしよう、だが原因も理由もわからなかったり曖昧だ。ならどうするか。相手に「気に食わないこと」を言ってしまったものは取り消せない。相手に「気に食わない」と言われたことも取り消せない。

ならば、言われた人は、言った人のために「それ以降一切言わない」という選択肢を取るだろう。

こうして、善意の人は「言う」という選択肢をだんだんと奪われていく。そうなってしまうと、次に待っているのは「コミュニケーション能力がない」だ。それはつまり「(私が是とするものを)言えない存在は必要ない」の表明でもある。

こうして、善意の人は「言う」ことも「言わない」ことも奪われる。

「言った」ことを責められたので「言わない」ようにした。その上で、「言わない」ことを否定されたらどうするか。「相手の気持ちを考える」善意の人は、透明な存在になるしかないだろう。透明な存在になる前に、「言うこと」も「言わないこと」も奪われた善意の人を愛せる人間は果てしてこの世に存在するだろうか?


この話は、冒頭の「その原因だとか理由」が言い換え不可能である、という前提で書かれています。彼らが求めているのは救済でも愛でもなく、「言い換え」という些細なものかもしれません。