自己実現ツールとしてのブログの行方

2006-05-18
に関して。

何とか折りあいをつけていくしかないと思います。思うんですが、我々はそこまで器用なのでしょうか?

と結ばれているけれども、「仕事とブログとのギャップ」というような二者択一に捉えてはいけないと思った。ここでいう「自己実現」にそこまで含めてしまうのは流石に無理がある。そこらへんはインターネットビジネスが儲からない理由 - しあわせのくつで言われていることとあまり変わりない。
自分の考えとしては、web上でのやり取りは「レスポンスをもらえる」という意味での自己実現であって、「それでメシを食う」ことではない。「おいしい肉じゃがのレシピを公開してお礼をされること」がweb上の報酬*1であって、そこに「自己実現」を見出すべきだと考える。あと少し意地悪に広げると、おいしい肉じゃがのレシピを書籍化して発売してもそれはメシを食う手段にならないということでもある。

ブロガーとしてメシを食うことが望みすぎだという突っ込みだけだとアレなのでもう少し書くと、「レスポンスをもらえる」という報酬は、republicさんが言うところの"どうしようもない現実"と折り合いを付けて「維持する、獲得する価値のあるもの」と考えるべきだし、そしてそう考えられるようにブロガー自身がしていくしかないと思う。そのレスポンスという報酬の価値がどんどん上がっていけば、「金を払って見てもらう」*2とまではいかないまでも、相対的に"どうしようもない現実"の難易度は下がっていくと思う。

それでも、"どうしようもない現実"が本当にどうしようもない場合にも(webによって)どうにかなって欲しい、と考えるのが人情というもので、それは恐らくビジネスとか経済の話になって自分にはなんとも言えないのだけれども、それでも楽観的に考えるならば(めんどくさいので肉じゃがの例えのままで表現すると)おいしい肉じゃがへのレスポンスの価値が限りなく高くなり、その価値を求めておいしい肉じゃがレシピが競うようにwebへ放り込まれるようになったなら、そこには自然と「メシを食う道」というのが出来上がるのではないかと思った。肉じゃがレシピ集なり肉じゃがコンテストなりといった形で。


そして肉じゃがのままにしたのは失敗だと思った。

*1:たしか糸井重里の「インターネット的」から

*2:これも糸井重里だった気がする