時かけ高瀬君問題

書こう書こうと思いながら書いていなかったので書く。2つ目はネタバレ。
♪ひとつ酷いよ猫殺し ふたつブログで叩かれて - 失踪外人ルー&シー
【Time waits for no one】時をかける少女-21【← ( ゚Д゚) ハァ?】
ここらへんの話。
俺としては高瀬が不幸を被り、かつ"不幸になってしまった人"としてクローズアップされなかったからこそ中和された部分があったと思っている。ぶっちゃけ言えば、マコトが「高瀬が不幸になった」と強烈に意識して云々かんぬんというストーリーであったならば俺は不満が残っただろう、というのがまずある。マコトが「他人を不幸にする」というのを自覚するためにはあの形が最も説得力があったと思っている。高瀬という「他人」を通して「親友のけが」に繋がっていくところとか。
さらに、高瀬について「救いが無い」と評されるのをいくつか見たが、俺はそうは思わなかった。彼の心理や行動は(俺にとって)とても自然で、真っ当であり、そこに無残さや救いの無さは感じられなかった。結果としてネガティブで不幸な人間として描かれたとしても、俺は彼は真っ当だったと思う。誤解を恐れずに言うならば、あの高瀬を「救いが無い」と言ってしまうのはわがままなエゴだ。むしろ「救いがある」ように偽装してしまったら俺はそこに疑いを持っていたような感覚がある。そしてもしそうなっていたならば、その高瀬の「救い」はマコトの(あるいは製作者の!)配慮に依存したもの、となってしまう可能性がある。それこそ高瀬個人にとって「救い」がない、ということになるのではないか?


2つ目のリンク先で「リープの影響が残ったのでは」というのがあるが、俺は否定的だ。スレで既に似たようなことが書いてあるが、あくまで「残っているように見える」だけで、彼/彼女らの反応は至極普通のあり得る反応であり、そこに「影響が残っている」とエクスキューズを求めてしまうのは美しくないと思う。まあ美意識の問題になってしまうとは思うけれども。


そして、高瀬君が一見「救いのない」ようなヤツで、記憶どうこう抜きでああいった人間であり、そして殊更にスポットライトを浴びることなく「マコトが影響を与える人物」のワンオブゼムだったからこそ、あのラストから、高瀬を含めた説得力のある「未来」が幻視できるのではないだろうか。



でもな、ラストシーンのどこかには写って欲しかったよ。正直。エゴだと思うんだけど。すれ違うだけでもいいから画面に見えて欲しかった。ホント。