何故俺はひぐらし皆殺し編のオチが気に食わなかったのか

最新版未プレイだし作品について語るリテラシー低めなので放置していたが書いてしまう。
梨果と羽入の選択を巡る話、として読んでいたのだけれども、そこでの羽入の描かれ方がどうも気に食わなかったのだろうと思う。物語に介入しようとする梨花とそれを止める羽入、というのが基本的な構図だったと思うのだけれども、その羽入という存在、ポジションの描かれ方はとても良かったと思う。皆殺し編そのものがネタバラシ的要素を含んでいたのもあって、それは素直に良かったと言える。
ただ、その羽入という存在がオチであのように「解決」してしまうのはどうしても気に食わなかった。それは恐らく2006-09-10 - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地で語られているようなことで、俺としてはあのオチでなくとも、羽入が羽入自身で"不可能性の向こう側"へ突破することができたのではないか、と期待してしまっていたからであろうと思う。


(これは俺の思い込みによる所が大きいのだけれども)そこではオチのような過剰な奇跡は全く必要ではなくて、あの「選択肢、手段、介入の欠落」した羽入の存在なりの、だからこその"向こう側への突破"を描けたのではないか、と。
オチの奇跡がなかったならば、それは羽入の描写、独白、あるいは梨果との会話でしかないのだろうけれども、その段階で「突破した羽入」を描けたのではないか、羽入という色々と欠落した存在そのままで(奇跡の補完なしに)「突破」を描いて欲しかったというのが正しい。プレイヤーそのものにはなれなくても「プレイヤーであること」は可能なのだ、と思いたい。
それがない(読み取れなかった)ままであのような形でオチてしまったのは、羽入という異質な存在が結局は(メインであるところの)圭一たちに組み込まれることで「解決」してしまったように見えてしまい、羽入の存在そのもの(の突破)は否定された気がしてしまった、と。


少し言葉を補うと、そういった自分の期待をネジ伏せるほどには、俺は皆殺し編のオチに力を感じられなかった、といったところが皆殺し読了時点での感想。あれの延長線上で描かれるのかなあ、という不安と、あれが壮大な引き(前ふり)であることをちょっと期待しつつ最新版を読んでみたくなったので時間見つけて買ってこよう、と思ったのであった。