大学という空間の話

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/nisemono_san/20061104/1162643786

# 2006年11月06日 nekora nekora こういうの、当人は数年で卒業して「青春の思い出」にするから楽なのだが、これを切欠にまた増えた監視によるやりにくさは後輩が延々と被るんだよね。学生は文化祭したいだけで別段権力と戦いたい訳でも無いのに。

卒業した学生は部外者だ!卒業していない学生は未来の部外者だ!フーハハァみたいなのが思い浮かんだ。まあそれって結局どうやっても後輩は監視されんじゃねーのとか思ったがそれは置いといて(追記:今見たら"学生は〜"と追記されてたので納得。別の話だ。)、卒業したら部外者になってしまうのだとしたら個人的に(後述)結構切実な問題なので、期待せずに他に何か見つけるしかねぇのかなぁ、などと思った。

http://d.hatena.ne.jp/tyoton/20061101#p1
準ひき関連。コメ欄から

# 虞 『文学とか思想やってる人はコミュニケーション能力で言えば一般のヲタより劣る人多いと思うよ。ただし、文系のだけじゃなくて理系の理論系の学問の方はもっとすごいと思う。数学とか。そっち系でまともな人あんまり見たことない。』

大学においての学問とか教養がコミュニケーション能力(ひいては就職能力)を阻害するとなると後ろには何が残るのかしら。まあ自分自身も、無事に卒業した後に個人的に学問っぽいものをのんびりやってこうかとか考えてるんだけれども、そうなったときに大学が頼りになったらいいのになぁ、とか思ったりするけど難しいんだろうかな。

関連
http://d.hatena.ne.jp/nisemono_san/
http://d.hatena.ne.jp/setofuumi/20060818#p1
http://d.hatena.ne.jp/nobita_t/20060814#p2

なんだろうな。今現在の大学が「メシを食うこと」に直結しがちなのはわかるんだけど、大学と就職が繋がらない俺としては、学問的な部分をのんびりとやっていくという方向+そういった事柄に関して「場」とか「空間」という意味合いをもった場所としての大学ってのを薄ぼんやりとイメージしていたんだけど、そういうのは今現在の大学とは別にどうにかしていかなければならない、といったところだろうか。今現在の大学の状況は色々難しいのは知ってるし、俺の需要はそれなりに特殊例であるというのはあるので、こういったのを読んでいて「ディストピアだ!」とまでは言わないけれども(ごめんちょっと思った)なんとか上手い方向はないもんかな、とは思う。

追記
http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20061104#p2
和んだ。