やりこみ再考、の追記。音ゲーあたり。
http://d.hatena.ne.jp/junkMA/20070220/p3
と反応してもらったので少し書く。別なところでやりこみについて語っていたりしたのでそこらへんも踏まえつつ。
音ゲー
音ゲーの多くの楽しみ方の部分は「やってるやつはやってる」という話なのかなあ、と思う。あの文脈でいうと、そういった私的な楽しみ方と、製作側が用意したものとの差、というところで考えていけばいいのかな、と思う。その点で言うと、オブジェクトが降ってくる形式だけをさして「音ゲーは受動的」というのはちょっと飛ばしすぎだよね、というのはわかる。
あとランダムの部分はかなり端折って書いたんだけど、俺の知識だと「ランダム化させてそのランダムぶりを楽しむ」方向と「ランダム化することによってクリアしやすい譜面でプレイする」といった形式の違いがあったと思うのでそこはちょっと面白そう。「ランダムぶりを楽しむ」というのは非パターン化な欲求なんだけど、パターン化が極まった人にとってはその手段ですらパターン化の一つとして利用できてしまう、という。
やりこみ
やりこみに関しては"『遊び方』と変わらん"ってのはそれはその通りではあるんだけれども、ここは「クリアのためか否か」「製作側が予期しているか否か」といった部分が焦点になってくると思うので、音ゲーの楽しみ方としてあげられた中でもそれは細分化できるし、それを「やりこみの陳腐化」という話にするためにはもう少し細かくしていく必要があるとは感じる。これは音ゲーに限らずなんだけれども。
空間
えーと、これは「STGやマリオだって対して変わらん」と言っておいてなんなんだけど、「音ゲーが空間移動をしない」というのはその通りだし、特徴として掘り下げられても良いと思った。アクションやSTGは、アナログなレバーやパッドで操作するわけなんだけれども、音ゲーは4-9くらいのボタンにだけ対応していて、そこはアナログな「空間移動」よりはデジタルで狭いよね、というのは言えると思う。ただこれは全く違うと言うことでもなくて、アクションやSTGというのはアナログで自由に動けるんだけど、「作法」のようなものはある程度決まっていて*1、そういう意味では音ゲーとアクション性のあるゲームとの差はそれほどないように思っていたりする。ただまあDDRの4つのパネル、ビーマニの5鍵盤と皿一つ、というのはすごいデジタル化であるな、とは思うんだけれども。
で、そこで切り詰めた音ゲー、作法はあるんだけど空間移動という自由さがあるアクションゲー、という差はもっと突っ込まれていくと面白いと思う。