場とか環境

http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20070326#p1
直接的ではないが似たようなことを話したのでそれが思い出されて面白かった。
ここで俎上に登っている若いひとというのは、「ダメだ」ということを開陳する場というのが存在して、そして一定の年数によって周囲が変化する環境にいるのだな、と思った。
単純に言えば「俺にはそれがないのでうらやましい」というだけの話になるか。とはいっても俺にも学校の人(not学生)に週1で話す機会作ってもらったりメッセで話す知人がいたりネットがあったりというのはあったといえばあったし、環境の方は卒業後は陸の孤島に固定で外部の人間と仕事以外で触れる機会は皆無になるとはいっても現状働き詰めになる状態でもないのでだいぶ恵まれているとは思うのだけれども。
なんだろうな、変えようもない場や環境というのはどうしようもない存在として存在しているので、そういうものと「現在の自分の状態」そして「自分の欲求」というものを並べてみると見えてくるものがあったりするな、と思った。見えて良くなるってもんでもないしかえって絶望的になったりもするんだろうけれども。
あとこれは愚痴っぽくなるけれども、「ダメである」ということそのものが問題ではなくて、その事柄がどれくらい致命的かという部分はあるよなあ、と思った。というのも大学終わってみて「ああ、俺は大学サークル的なものとは無縁だったし会社に入るわけでもないので一生そういうものとは無縁なのだろうな」と気付いて結構寂寞感があったりしたからなんだけど。