生まれと育ち
適当に書くのでわかんないことの詳細はキーワードを持って補足とする(そんな無茶な)(説明は欲しい人がいたら書きます、的なエチケットペーパー)。
ネットを見ていると、素朴に何かを嫌う人、というのを数多く見かけるのだけれども、その際共通して感じるのは、その嫌いな対象*1が「どこか遠く(見知らぬ場所)で生まれ、育ち、大きくなった」と思っているように見える、ということで、まあ、どっか遠くの国でこんなひどいことがありました、そりゃひどいねぇ、日本人の乗客はいませんでしたいませんでしたジャスラックの方から来ました、というのならわかるんだけれども、結構近いところで生まれたものや、場合によってはそのまんま自分自身から生まれ、自分自身が育んできたようなことまで「遠くのもの」だと素朴に思って、そして嫌っているような人もいたりして、そういうのを見かけるとどうも居心地が悪いのであった。
俺はオタクやコミケに特別な感情は無いけれども、例の宮崎勤報道のような現象というのは(ジャンルを問わず、そのままの形ではないにしろ)あり続ける、続けているのだろうし、それを「得体の知れない遠くのもの」として嫌うのではない方向、というのを漠然とイメージしているのだが*2。
俗っぽい話にすると、誰かが何かを売って儲けているぞ、というのはそれは(大抵の人は)自分自身が持っている「物欲」というのがその現象を生んでいるわけで、「遠くの見知らぬ誰か」が勝手に嫌なことをしている、というわけではないよね、といったような。なんでもかんでも「人間はそういうもの」という話にしちゃうのはあんまり良くないことではあるんだけれども。
- 作者: 永田泰大
- 出版社/メーカー: エンターブレイン
- 発売日: 2001/10
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永田 そういうときに、ゲームっていうのは、その、孤立せざるを得なくなったとき、あるいは自我が揺らいでいてしかもひとりきりのとき、にゲームは相性がいいというか、それに食われちゃうって人がいるっていうのも――。
伊集院 も、あるだろうね。食われちゃうこともあれば、逆に言えば生かしてもらった感もある。その、たぶん、それをワケ知り顔の評論家かなんかが「食われちゃうんですよ」って断言したりすると、ムキになって「俺は生かしてもらった」って言うと思う。けど、逆にそいつらが「ゲームに生かしてくれるよね」なんて言った場合には、「でも食われちゃう人もいますよ」って言うと思う。
永田 両方ある。
伊集院 両方ある。ただ…ずいぶん生かしてもらったなっていう気がするね。俺の場合は。いま生きてるんで。うん。そういう意味ではあれはかなり"ありがとう"感はあるな。なんかあれがなかったら、立ち向かえなかったかもなぁって思うし。あの6ヶ月間*3たしかにすごかったけど。ひとりあたりのプロフィールが大学ノート2枚くらいになってて、それが全球団ぶんあるんですよ。だから親会社の設定とかまで書き出してて、誰にも認めてもらえない水島新司みたいになってましたよ(笑)。でも…いま、抜けてみたらありがとうだなぁ。なんか抜けといて、後ろ足で砂をかけるのはイヤだなぁとも思ったりするし。