けまらしい問題

http://d.hatena.ne.jp/ch1248/20071109/p2
読んだ上でわからんところを
*お返事いただいたので向こうのコメント欄でおはなしした。感謝。

  • 第一点として、「疎外」の使われ方がどうもよくわからん。哲学方面の意味をちょっと学んだことあるけど、この場合「のけものにする」という辞書的な意味か哲学方面なのかはっきりわからなかった。そもそも哲学方面の意味がまだはっきり理解していないし、どうもそこを基本に話が回っているようなので根本的にわかってない。俺が。
  • けまらしい」はマイナーな造語なので、どこそこで「けまらしい」という言葉が見られないからその感情はない、というのは外国で「暑い」と日本語を喋る人がいないからそこの人は暑がらない、というようなもの
  • 何歩か譲って、「そのような現象は見られない」と読んだとしても、俺が見聞きした限りでは2chでもネトゲでもあと読者投稿とかでも「けまらしい」は発生しているような(それは同一の場で出るのではなくて異なるメディアで吐露される感情として、が多いんだけど)。これは観測範囲の違いと言われればそれまで。
  • 「〜〜辺りの界隈というのは”リア充パワーでミクシキンモー化”してることが大半」というのは、俺が見聞きした範囲でもまあわからんでもないけど、それが「けまらしいという感情が発生しない」とイコールになる理屈がちょっとよくわからない。むしろ「(略)キンモー化」している度合いが高くなれば「あいつら楽しそうで嫌だ=けまらしい」という感情は比例して多く見られるような…

参考
http://d.hatena.ne.jp/koseki/20040723#nareai
http://mohican.g.hatena.ne.jp/keyword/%e3%81%91%e3%81%be%e3%82%89%e3%81%97%e3%81%84
http://d.hatena.ne.jp/kanose/20040729/kema
http://d.hatena.ne.jp/kanose/20070920/nicovidekirai


あと

ここでいう”言語による疎外”は他人を疎外すると同時に、自分自身をも疎外している(ふるいにかけられた)わけで、そのふるいにかけられた上での言語による純粋かつ有益な交流が、都市圏のオフによるリア充パワーで全部ブッ壊れる可能性があり、それへの恐れが「けまらしい」という発言にこもってる。(少ないものがさらに少なくなるものへの恐れ)

ここに関しては俺の理解でも結構納得できる、けど、それって色んなところで起こってることだと思うんだけどどうか。「純粋かつ有益な交流」が色んなものに置き換わるだけで(例としては、ネトゲで"ストイックなゲームプレイよる交流"を望んでいる層とか)。

あと自分の書いたやつもはっとく(主に俺のために
http://d.hatena.ne.jp/setofuumi/20071031#p1
http://d.hatena.ne.jp/setofuumi/20071024#p2
http://d.hatena.ne.jp/setofuumi/20071024#p3