オタク第三世代

世代で語れない世代 - 記憶のメモ帖
kirさんの一連のオタク世代論の話はごもっともだと思う。「最近の若者〜」的な世代論はくだらないってのはその通りだし、第三世代と呼ばれるゾーンの人たちが「オタク」というくくりを(無意識的に、あるいは意識的に)意識しなくなっているってのはよくわかる。あと俺がエヴァをちゃんと見てない(けどオタク意識はある)。
なんだけれども、田舎で情報に触れるのが遅かったからかそれとも世代的に中間に位置するからなのか、「オタク」というくくりに拘ってしまう感覚もよくわかる。


ここから俺の妄想

  • 結局消費スタイルの違い
    • 新しいもの(目の前にあるもの)派
    • 古いもの(手元にあるもの)派
      • 若い人は前者になりやすいというだけ
  • webの影響
    • 常時情報が入ってくる(前者に好都合)
    • 記録して半永久的に残せる(後者に好都合)
      • 現状は前者が優勢なので、後者はもどかしい
        • 後者の仕事を前者的に消費することが可能
          • 逆も言える。
  • 後者のもどかしさ
    • これが世代論という煽り*1(前者の切断)に繋がっているとしたらよろしくない
      • 「目の前にあるもの」派を排除せずそれを「手元」に吸収するくらいの度量が必要ではないか
  • 多数派と思われる前者
    • 「目の前」信仰のあまり過度に「広い視点」「歴史」「教養」を敵視する傾向はないか
      • 今は前者でも、年を重ねることで後者になるかもしれない、と想定できているか


結論:両方やれ

*1:これは以前書いたんだけれども、「煽る」という言葉が「敵対的な言葉をぶっつける」と同義になってるのはなんとかならんかなぁとたまに思う。原義は「そそのかす」や「たきつける」だと思うんだけど。そしてはてなキーワード見たらそのまんまな解説で笑った。

「リンクはトップページに」「踏み逃げ禁止」といった主張は否定されがちだけれども

http://d.hatena.ne.jp/setofuumi/20061003#p2に続く
「飛んだ先の記事に向けられたトラックバックとコメントも一緒に読んだほうがいい」
「飛んだ先のブログの前後、あるいは最新の記事、ブクマならブクマしている人の「ブックマーク」を一通り見たほうがいい」
といったようなことを上手に浸透させられないものか。キャッチーなフレーズか何かで。「脊髄反射かっこわる」と下品に言ってしまえば言ってしまえるのだが。


注目はされるけれども本意を読み取ってもらえない、あるいはパッと流し見てそれだけで終わってしまうというケースを眺めていてそんなようなことを思った。タイトルの件が原因だとまでは言わないけれども、これが行き過ぎると"文脈無視の脊髄反射だけでオッケー"という価値観が形成されそうな予感が。


ブクマから

# 2006年10月01日 REV REV SFを語るには1000冊読んでから。グインサーガを批判するときは100巻読んでから。ペリーローダンを批判するときは、1000巻くらい読んでからのがいいよ。という話?

「そのほうがベターである」という意味ならまあその通りなんですけど、「語る」「批判する」よりも「読む」の部分の意識を考えていました。だから「読んでからどうこう」ってのは正しくない。
「SFの一冊の本が気になったらSFや同じ作者の本を読むと良いよ」「シリーズものなら最後まで読んだ方が良いよ」という話。
あー、そうなると元の「脊髄反射」の部分も正しくない表現になるか。

# 2006年10月01日 ululun ululun ↓ワロタ。 あるいは半年ROMれとか??

キャッチーすぎるこのフレーズを忘れていた。でももうちょっと上品さが欲しいんですよね。というか半年ROMれはフレーズとして発達しすぎているので幅がありすぎて冗談にしかならんような気がします。