音楽の話なんて毛程もわからないのだけれども

http://d.hatena.ne.jp/amiyoshida/20060306/1141648272の話なんだけれども、自分からするとこの話の登場人物はどれも「プレイヤー」そのものである。自分からしたらダッシュ君ですらもプレイヤーなのだ。そしてそこには(音楽というジャンルに無知なのを横に置いても)自分には行けない、という諦観のようなものがある。そう言うとそれこそ「経験を恐れるな」と言われてしまいそうなのだけれども、自分のこれと言うのは経験したからこその回答だと思っている。若い頃はそれは馬鹿な事や恥ずかしい事やくだらない事もやったし(ってまだ24だが)、ネットがなくても、なかったからこそかなり必死だったように思う。そしてそこでわかった事は、平凡な話なのだけれども、「上には上がいる」と。そしてそれは「どうせいるんでしょ」では全くなくて「すげえ奴らがいる」という感情なのだ。そう考えると諦観と表現したのは正しくない。下手に例えると、自分なりのマラソンを走っていたら、その先を走るランナーの走りを見ることがどうしようもなく魅力的に見えてしまったのだ。第二集団のジレンマ(今作った。意味はまだ無い)。いないだろうが、自分と同じような感性を漠然と持っていて、あの文章を読んで一欠けらの不安感や違和感を持った人がいてこれを読んでいたら言ってあげたい。それでいいのだと。第二集団、あるいはもっと後ろだったとしても、「プレイヤーそのもの」にはなれなくても、「プレイヤーであること」は可能なのだ。


ただし、たまにカメラが向いた時に恥をかかないようにしておこう。