努力の中の自虐成分 - アンカテ
これを読んですぐに思い出したのは

http://noraneko.s70.xrea.com/mt/archives/2005/1113020039.php#comments
2005年11月17日
[コメント欄][イカフライ氏][恐怖!生き生き教]「とにかく努力しろ、結果は私が恣意的に判断する」という氏はまさに「生き生き教」の信者な感じがします。

このkiyaさんのブックマークコメントだった。
やはりこういった使い方をされる「曖昧な言葉」には恐ろしさしを感じる。「曖昧な言葉」の持つ力というのは認めるのだが、こういうのは「悪用」に思える。
ここでいう「自虐の量によって決まる努力というもの」そのものを理解はできるけれども、それを他人にぶっつける際にはそれを自覚してやって欲しいと思った。


でも自覚なくぶっつけられた際にどうすればいいのかを考える余地はある。とりあえず「なんでなんで」は社長じゃないので使えなさそうだ。どうしようか。