会話はキャッチボールという話

2006-06-24 - 九尾のネコ鞭
目的がないのがキャッチボールという切り口。とてもわかりやすくて良い表現だと思った。思ったのだが、ちょっと自分の想像する「楽しいキャッチボール」というのとは微妙にズレる。ベタな意味でも比喩としての意味でも。
俺が遊びとしてキャッチボールをするときに何をするかを想像した場合、それは「○○選手のフォームを真似してみる」だとか「曲がりもしない変化球を投げてみる」だとか「連続してストライクを投げてみる」だとかそういった類のことだ。これは自分自身の想像力を発揮しなければいけないし、そして何より相手に見てもらってリアクションしてもらわないといけない。こういう部分は明らかに「キャッチボールの質」と呼ぶことが出来ると思う。
そしてこれは比喩としての意味、会話においても同じような考えを持っている。maroyakasaさんは自身の会話を「ドッジボール」と呼んだけれども、そこに俺の考えているような「遊びとしてのキャッチボール」が含まれていないか、と気になった。もしそうならば、俺としては「キャッチボール⇔ドッジボール」という対比は大雑把過ぎると思う、と主張したいところだ。