何がしたいのか

テンプレ化した物言いであるところの「何がしたいの?」について考える。

俺の妄想としては、「したいこと」が最初っから五歳児にでもわかるように解説できるようなことだったら「何がしたいの?」という問いは不要なわけで、この問いかけをされてしまった対面の人は、なんとか聞いた相手が「わかる」ように解説しろ!と迫られていることになる。

何が必要か。相手は「何がしたいのかわからない」ので、相手が「わかる」と思っているものがヒントになるだろう。それを把握することが必要だし、もし「何がしたいの?」と問いかける側だったなら、その助けになるように言葉を補う方が誤解が少ないだろう。というか「何がしたいの?」と問いかける前に、問いかける側が「〜〜ならわかる」というのを教えてやった方が楽だ。その手間を惜しまないようにしよう、といったところか。


ここからもう少し妄想のアクセルを踏んで加速してみると、「〜〜ならわかる」というのをキッパリ言える人というのはあんまりいない。単に言語化が下手なのか、恥ずかしいのかはわからないが、俺がwebを見て回っていると、そこらへんがはっきりしない、はっきりするのを避ける心理というのはある気がする。あとその人にとっての「わかる」の射程範囲*1に関係しているような気もする。

そういったようなことを考えると、俺はどうしても「何がしたいの?」と投げっぱなしにしてしまうというのはそもそも不親切だし手間を惜しんでいる、といった感想を持ってしまう。とは言っても、サッパリわからないのに「わかるわかる!」というのも相手に失礼という話だ。

もし自分にとってわからないことがあっても、それを問いかけるときには「〜〜ならわかる」という補足をしてあげるか、「よくわからんかもしれんけど聞くよ」という姿勢をわかりやすく打ち出すべきだと思った。

あともう少し妄想すると、「わかるわかる!」という失礼(かもしれない)なレスポンスの発生の仕方はDQNとオタクで違ってくるかもなあ、と思った。

*1:知識どうこうではなくて、好奇心や寛容さのようなものの範囲