空気話

2006-09-14
はてなブックマーク - また君か。@d.hatena - 「空気読め」は敗北宣言
俺はまたきみかさんの書いてることはごもっともだと思ったのだけれども、どうもそうではない人や俺とは違った読み方をしている人が目に付いたので書いておく。
「読解が違う」または「その考えは違う」と気付いた人はどっちがどう違うかを突っ込んでもらえると嬉しい。(特に前者が気になっている)
以下俺の解釈


  • 「空気読む」主義者が存在する
    • 彼らにとって、"「空気を読むべき場である」と空気によって伝える"こと、あるいはそういった場を構築、維持することが勝利条件(目的達成)である
      • なので、「空気を読め」と発話行為をしてしまうのは、その条件を逸脱してしまう
        • そう考えると、厳密に言えば"「空気読め」は敗北宣言"と言える。
          • これは「(自分を含めた)周囲が空気を読んでいる」という感覚と、「周囲に空気を読ませる」という力量との間に発生するギャップに由来する。またそのギャップは人間である以上仕方の無いことである。
            • だが、やはり「空気読め」主義の勝利条件からすれば不粋ではあろう。(完全勝利を捨てることになる)
  • 一方で、「空気読んだ上で空気読まない芸」主義者が存在する
      • さらに、このような(読めるのに読まないという)空気主義を所持している人間は、"決闘ではなく舞踏会"的な「継続していく世界観」を所持している、と思われる。
        • 逆に言えば、勝利条件が設定されている以上、「空気読むべし」主義者は「読む場になる=勝利」「読まない場になる=敗北」という決闘主義者と言える。(これにはもちろん"空気読んだら負け"的な価値観も含まれるだろう。多分。)
          • 「空気読むべし」主義者が「読めるけど読まない」主義者によって「空気読め」と発話してしまうのは、厳密に言えば敗北であるが、芸を行った(言わせた)者にとっては「読めるのに読まない=舞踏会=場の継続」という主義なので、「勝利/敗北」という項目が無い。そのため、その二者の間に決定的な勝敗関係が成立することは無い。
            • が、許容範囲、手の内、つまり「空気を読む/読まない」の判定基準を表に出してしまっているため、やはり"「空気読め」と言った「空気読め主義者」"に不利な状況であることは否めない。


言及していた方へリンク。(他に誰かいたら教えてください
http://d.hatena.ne.jp/Brille/20060918
http://d.hatena.ne.jp/samona/20060918
http://d.hatena.ne.jp/sho_ta/20060917#1158450185


http://d.hatena.ne.jp/Brille/20060918/1158598132#c
Brilleさんのところのやり取りが異常にわかりやすかったので追記。