3回目

http://d.hatena.ne.jp/setofuumi/20061003#p2
http://d.hatena.ne.jp/setofuumi/20061001#p1
一連の流れを頭の中で回してたらこの流れ自体にこの話題を適用してしまって頭と尻尾がくっついてしまった。で、一旦整理してみると、結局「書き手はとにかく(望むものが手に入るまで)書け」というところに落ち着くのかな、と思った。あー、でも書き手読み手の二者間関係だとそうなんだけど、第三者としてそういうのに出くわした時に書き手側にしかコミットできないというのはちょっと寂しいような気もする。というのが出発点だったような。
違うか。「コミットできない読み手」というのが幻想なのか。現実に存在したら指摘できる。対処療法。だがそれはどう読もうと自由であるというのが根っこにあるので強くはコミットできない→炎上という現象そのものは正しいじゃなくて、読み手はいつだって正しい。引きずられすぎ。→書き手の問題。
で、幻想であるところの読み手にコミットするためには対処療法では無理(無理筋)なので、0の地点(コトが起こっていない時点)から予防接種的にバラまく→新書が売れてウハウハ。なんか間違った。予防接種的にバラまくしかない*1、というのを出版以外で具体的に考えてみると、結局「書く行為の中にそれを組み込め」ということになるか。エチケットペーパーなり自サイト内へのリンクなりなんなりで。
あー、あと場や空気を「作る」といった行為もこういうことに繋がっていくのだろうな恐らく。そしてそれもまた書く(あるいは言う)行為の範疇といってしまえるのだろう。

*1:それって感染じゃねぇの(ある意味正しい)