Mixi話(と改変

http://d.hatena.ne.jp/kerc/20061010/1160447107
俺は非コミュであってこの文章内での「こういうひと」にカテゴライズされそうなんだけれども、ここ最近のMixiを巡る話では最も納得できた。Mixi(というかweb)は結局道具に過ぎないし道具に使われているようではいけないよなあ、と思いつつ…


インスパイアされて改変。

  • kercさんを貶める意図はありません。
  • 以下の引用内文章は改変であり正確ではない記述が含まれて居ます。
  • ただし改変部分へのツッコミは歓迎します。
  • 「正確さを求めるツッコミ」をさせる釣りではありません(後から気付いた

トリビアルな会話が不得意な人に多い勘違いとして、話には内容が伴ってはいけないなんていう観念があるように思う。「トリビアネタ会話」ができない人。「知識をネタにできない父」を持つとそんなふうになるとかどっかで読んだことがあるけど、逆にこういう人の「薄い話」は割とクソつまんなかったりするんだよなぁ。トリビア話してるのに知識の無さを追求して「ダメ出し」のつもりで「それは難しい話だから不要」とか言ってきたり、トリビアネタを言うような場面で当たり障り無い話をされたりして。ただ、場が日常会話モードになってる時はこの種の人は活躍するし、会話を続けるスキルを持ってるから聞いてるほうも飽きない。だけどこういう人はいわゆる付き合いやすい人ではない。トリビアルな話、マメ知識、意味はあるけど非生産的な話ができなければ、トリビアネタを好む人にとってコミュニケーションの機会は激減するのは明白。人と絡む回数が減れば、人との付き合いは小さくなる。