投げかける言葉

http://d.hatena.ne.jp/setofuumi/20061008#p2
http://d.hatena.ne.jp/setofuumi/20061011#p1
ここら辺の話
もっかいらぐなそあさんとこで反応もらったんで再び。

「自分の神(信じるもの)に祈ればいい」

ここらへんに我が意を得たりな感じ。大本が「ごっどぶれすゆー」だっただけに一神教多神教の違いというのが根っこにあるのかしら。そうなるとどうしても一般的な言葉に落とすのは難しくなってしまうのか。
挙げてもらった例はフォーマル/インフォーマルというよりもロールプレイな感じが強いですね。でもニュアンスや距離感はすごく良いと思う。んで、これを軽くすると「じゃ、また」であったり「また会いましょう」だったりするんだろうけど、なんか「別れ」がクローズアップされすぎている感触。そうなるとやっぱり「頑張れ」の距離感の話になりそう。


それから上に書いたロールプレイっぽいであるとか、最初に反応してもらった部分であるとか、やっぱり「ゲームの様式」の力によってそういう距離感を作り出す(あるいは自然に発生する)って部分はあると思った。今にして思えば「ぐっどらっく」とかそこらへんのフレーズは山際淳司(野球、スポーツ、つまり"ゲーム"のルポライター。故人。)の文章の影響もある。
ちょっと今現在ゲーム方面の意識が薄まってるのでうまく書けないけど、そこらへんの「ゲームプレイ」の感覚についての部分は面白そう。「ゲームの1プレイ」か「終わらない擬似世界」かというネトゲの価値観の話にも繋がっていくんだろうかな。

追記(引っ張りすぎるのもあれなのでちょっとだけ)
http://hpcgi1.nifty.com/hukyoan/foohs/roblog.cgi?&no=501
(仮託先のドメインとしての)"make a match"という"ship"を持っている文化=スタイル
というのは俺の記憶の中だけでも色々と繋がるものが多かった。俺言語感覚だと「場」と言い換えてもいいか。あと言語というのは恐らく、場(ドメイン)に含まれる下位概念なんだけど、「場の構築」の手段として「言語の構築」(造語あるいはレトリック)というのはそれなりに有効である、が、本末転倒であってはならない、とかそこらへんか。