はてブ話

http://d.hatena.ne.jp/yositune/20061121/p1
http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20061122/1164154854
いまさらはてブ - The dream is invincibility.

↑3つは?bの持つ「歪さ」のようなものを語っているんだけれども、一年前から?b評価話を読んでいるが未だに「見える見えない」と「見下し見下され」が注目されるのだなぁ、と不思議な気分になった。俺としてはずっと「b.hatenaのページの情報へ関与できない」点*1だけが歪だと思っていて*2、他の要素で?b特有といえるものはほとんどないし気にならない、くらいに考えている。

ざっくばらんに言ってしまうと、「見えていれば」あるいは「見下していなければ」それでオッケー、それで歪ではなくなる、という感覚がいまいち理解できないし共感も出来ない。

「見えない」ものは「見えない」ので俺は認識できないし(例えばこの文章をブラウザで読んでいる人のオフラインでの反応を俺は認識できない)、そもそも?bや2chは十分すぎるほど「見える」ものの範疇に含まれると思っている。「見えない」ものというのはmixisnsや個人間メール、オフラインのダベりであって別の話だ。?bや2chを並べて評価するのなら、問題はその「見えてしまう」、そして見えてしまうのに思い通りにならない現象が発生する、という具合になるのでは。

あと見下しに関しては
はてなブックマーク - http://d.hatena.ne.jp/anonymous_d/20060312/p1*3
他人も自分も見下して生きろ - 行乞記 - 断片部
こういう手法や思考法を俺は素晴らしいと思っているので、見下しがろくでもないという主張には同意できない。
ところで「見下しをする人はろくでもない」というのは「見下されたと感じたのでけしからん」とほぼ同義だと思うんだけれども、こういった主観による気に食わなさを「こいつは恐らくこう思っているに違いないのでダメだ」という表現にスライドさせるのは「客観ぶる」の範疇にはひっかからないんだろうか。むしろ主観だと言ってもらった方が俺は気持ちよく読めるけれども。

まとめると、webでアレコレする際に必要なのは、見下されているか否か、見下せるか否かといった「やり取りの質」の問題ではなくて、そもそも「やり取り」が発生するか否かという点にあると考えていて、?bに関して歪さを指摘するのならそこを射程に入れる必要があるのではないか。

*1:ちょっとこれでは上手く表現できていないなと思った。

*2:タイミングよく一つ前の記事はブクマコメントへの反応をしたんだけれども、これはブクマした人、あるいはブクマページを見た人への情報伝達としてはちょっとばかり手間だったり不安定だったりするよな、という。

*3:そういえば消えてた。見下したくなったらメモ帳に書いて消して気持ちよくなりなさい、という話