何かを入力しないと出力されることはないわけで

俺は「作品」と呼べるものにほとんど触れていないのでよろしくないなあ、とたまに思う。おまけに「人間」にも触れないために外部入力されることがほとんどないので、なんだかwebでその埋め合わせをしているような感覚もある。
そして外部入力が欲しいというのとは別に、出力したいと欲する感情もあるにはあるのだが、どうも自分は一箇所(もっと言えば特定個人間)で入力出力を両方やる、というのが上手く出来ないのでうまく回らないといったような。
なんだか変なものが出てきたのでそのまま出してみると、自分は「自分が知っていること*1は既に知っているのでどうでもいいこと(あるいはろくでもないこと)」という意識が少なからずあって、それを外側に出すのは相当なエクスキューズがないとブレーキがかかる傾向が強い。冒頭の話に繋げると、「異なる場の情報と情報を橋渡しするような行為は良いこと」なので外側に出してもオッケー、そうでなければ出すな。というような。
話が拡散しそうなので「webで書くこと」に焦点を当ててみると、俺の思い込み的にはやはりweb上にアウトプットされるべきものは「外部で得た情報」なので、それを得る手段を持たない、あるいはそれを積極的に摂取するべく行動していない俺はweb上にモノを出せていない。そしてそれ故にweb上から何かを摂取しようとしてしまうしweb上にそれを得ることを求めてしまう、そしてその結果何らかを得ることが出来たとしてもそれはあくまでweb上で得たものなのでweb上に出しても仕方が無い、といったような流れ。わかりにくい。やめよう。

*1:というのは詰まるところ自分自身ということだなよくよく考えると。ちなみに「聞き知った知識」はこのカテゴリには入らない。ここらへんちょっと言語化しづらい。