ギートステイトへの言及を発端にした現実/仮想現実の話。

http://d.hatena.ne.jp/Dryad/20070126/p1
http://kzhn4a.air-nifty.com/foohs/2007/01/post_8bcf.html
ギートステイトhttp://blog.moura.jp/geetstate/の話から色々発展していて大変面白く読んだ。以下自分なりの解釈による感想。


本文の内容としては

これからの日本社会を構想する価値観のうちの一つを選び取ることと同義となっている。我々は、もっとそのことに自覚的であっていいと思うのです。

ここ(だけ)だと思うのよな。触手って人はその核心以外の部分が隙多いよってことをツッコミたかったのならば、結構同意できる。自己資源の点は「そりゃそうだ」というスタンスなわけだし。
でも「現実を軽んじすぎ」「そこは社会の縮図と呼べるものではない」というのは、発端のギートステイトや、Dryadさんがそれに対して留保付けながら語っていることに対抗するフレーズとしては大雑把すぎて弱いよね、といった印象を受ける。でもそこは語られていくべき部分でもあるのだろうとは思う。
あとそれとは別に、現実というフレーズや「高次/低次」という概念を使うのならR@R(風花)さんのところで語られてる部分に対抗できるだけのものを書く必要があるよね、といった感じか。すっごく個人的には「ゲームは低次」とする考え方は基本的に「アリ」だと思ってるんだけど(ここらへん色々あるが割愛する)。それから

ただし、MMOと呼ばれる事実上の世界と、現実世界との価値を同列に扱うのは不味い。
なぜならMMOは人が作り、人が管理する世界で、いつ終わらせる事も可能。ただのゲーム。
現実は、君が自殺しようが存在し続け、絶対的な管理者がおらず、無限に未知が在る。

ここの部分とかは、現実/仮想現実の話をしている時にこれだけの説明ではちょっと杜撰だよな、というのはある。現実の国家も終わったりするし、webのデータも「自殺しようが存在し続け、絶対的な管理者がおらず、無限に未知が在る」といえないこともない。というかここらへんは哲学問答になりそうだから突っ込みたくないし迂闊に書くべきじゃないと思うのよな。うっかりこういう説明したくなっちゃうけど。


あと直後にessaさんのこれを読んだのでhttp://d.hatena.ne.jp/essa/20070131/p1
図らずも「東氏の「サラリーマンと専業主婦の規範的な家族形成を推奨する規律のある社会」に戻る風潮があるように見える、とはすこし短絡過ぎるのではないだろうか。」というのに繋がって面白かった。