ふたたびanondの話

 一応「anond"に"書くこと」に関しては回避してたつもりなんだけど(書く側の心理や動機はわかるし、現象としてはどうやってもおきる自然現象みたいなもんなので)、反応を見るとやっぱりそこの問題は避けては通れない感じがした。けどまあ当面の問題としては「人と人のやり取り」を読めば二人に接せるけどanondだと一人しか見れないのでめんどくさいなあ、という具合だったりする。
 あとそこを突き詰めていくと「anondに書いてあることはただの情報なので非人間的に扱っておk」→「ワロタと一行レス」とかそういう感じに妄想が進んだのだった。
http://d.hatena.ne.jp/aozora21/20070306/1173170417
で書かれている「御伽噺」というのと似たような感覚かもしれない。まあそれは悪いことではないし、webの全ての情報を人間的に扱っていたら処理能力がおっつかないので仕方の無いことではある。
 ただ、それ(web上にあるものを「非人間的な情報」として扱う態度)がデフォルトになってしまうと色々と寂しいことになるよね、というのを思ったりする。ここらへんは「anondに書くこと」の問題ではなくて、「anondに書かれたこと(ひいてはweb上に書かれたこと)について書くこと」の問題になってくるか。
http://d.hatena.ne.jp/cuttlefishmk2/20070307/1173246152
で見えないトラックバックを受信してくれたのでここらへんと繋げると、「web上の情報は全て私に話しかけている」と思ってしまうのは危険なんだけど、でもやっぱそれ(私に話しかける)はwebの一部の機能として存在して欲しいよね、ということだと思う。
 で、それというのはどうしてもコストやめんどくささやリスク管理の上で難しいことではあるし、そればっかりになっても窮屈になるような気もする、なので、「(人間的に)見られなかった/読まれなかった」ことは気にせずに「見られた/読まれた」ことの方に満足しておいた方がなにかと良いのではないかな。
 あとそういうのを求めるならば自分からそうしましょう、というのはあるかもしれない。こういう物言いは「愛されたければ愛せ」みたいで嫌なんだけれども、俺がwebに触れてきて現時点で思っているのはそういうことだったりする。


 蛇足として「anond"に"書くこと」についてもうちょっと触れると、「見られた/読まれた」感覚を求めるのはとても自然なので、それが得られることがその書き手にとってプラスになるならばどんどん書かれるべきだと思う。ただまあ、anondの情報というのは非人間的な情報として扱われがちなので*1そこの覚悟は必要だろうし、もし「情報よりも人間として見られたい/読まれたい」という願望があるのならanondというのはあまり良い手段とは言えないよね、と思ったりする。