上の文章を書いたきっかけ

他にもあるんだけど言語化しやすいところにリンクしておく。
http://d.hatena.ne.jp/mizukik/20070417/1176799105
これは俺からすると、自分で自己愛を満たすしかない、というところに着地する。そしてそのために、例えばゲームであるとか、小説であるとか、絵であるとか、まあ作品やそれ以外の色々な何か、(ネガティブではなく)非人間的なものを利用していくべきではないか、といったところ。
こういうのは自分の場合でしか語れないので自分の例で言うと、多分俺は他人に対して基本的に「筒井康隆永田泰大山際淳司を読んで好きになってほしい」と思っていて、俺が他人に対して何かをするというのはそれが基本であって全てそれの延長である、といったような感覚。そしてそれ以上のことというのはよっぽどでないと望まないし、例えそれが失敗したとしても自分は楽しいからオッケーである、といったような感じになってある程度安定したと思う。見る人によってはそれは身勝手なんだろうけれども、とにかく安定させるにはそれしかなかったので。
追記:適当に書きすぎたので普通に読むととんでもない文章になっていると思った。流石にここまで限定的なわけではない。原理的にというか思考の流れとしてこういうものがあることはあるんだが。あと特定作品や作家にこだわっているのは事実だが、「好きなもの」、「楽しいのでオッケー」の基礎になるもの、ひとというのはゆっくりとだが増やそうと思っているし、実際増えている。
まあ、どうしても「外側に出す時の作法」*1であるとか、「趣味嗜好以外の要因が含まれる場(職場とか)」という問題はあるのだけれども、自意識の点ではとりあえずこれでいいと思っている。

*1:この文章では「誰にもわかってもらえなくても自分自身で、俺言語で楽しめ」という趣旨なのでそこらへん全くフォローしていないので不親切だなあと書いていて思った。自分は他人にそれを伝えるのは余暇活動であり当たればラッキーでありそして日々磨いていくべき技術である、といったような意識を持っている。