テレビ(メディア)はあなたに話しかけてなどいない

いないが、その内容について何かを言うことはできるし、ネットが発達した現在、「中の人」に何かしらのメッセージを届ける事が出来る。
その際に「何かを言うこと」は決して受動的なものではない(話しかけてなどいないのだから)。
それを知っている人は「何かを言う」ということに自覚的で、自分が「何かをする側」であり、責任や原因は自分にあると知っている。
それを知らない人は、自分が「何かを言う」ことは受動的なもので、責任や原因は相手側にある、と素朴に信じている。
目的や前提、評価や善悪の基準は個人個人や場や集団ごとに勝手に設定しているもので、自分と他人のそれは違う。IT会社の会議室で話される言語と土木作業現場で使われる言語は異なるし、目的も前提も違う。
そういった場に入っていって何がしかを伝えるということは、そのこと自体は悪いことではない。メディアで繋がっているのならば、それは可能だ。
だがそれは自分の目的、前提の元で行なわれるものであって、他人と自分とは違う。それでも何かを伝えようとするならば、それはおせっかいや失礼な行為と取られても仕方のないものだ。「おせっかいだけど伝えたい」と表明するならまだしも、「あなたに原因がある」というのなら尚更のことだ。


今日ここまで。
少し余計なことを追記すると
(あなたから見て)不愉快な話し方をする人が、自分と他人は違うと知りつつ「おせっかいだけど伝えたい」と表明した時と
(あなたから見て)丁寧で好ましい話し方をする人が、他人がどうであろうが自分基準で「あなたに原因がある」と表明した時ではどちらが好ましいだろうか