ネガポジに関すること(を書くこと)について考えてきたことをまとめておく
この日付は他の事書きたかったんだがけど↑に少し書いちゃったからまとめておく。
ちょっとまとまらん(書けない)のでメモ残し
http://d.hatena.ne.jp/setofuumi/20071106#p2
http://d.hatena.ne.jp/setofuumi/20071031#p1
http://d.hatena.ne.jp/setofuumi/20071024#p3
http://d.hatena.ne.jp/setofuumi/20070930#p1
あと「何かを言われる」というコストはハッピーな側が支払うべき、とかか
あと「ひとはなぜ『そうですか』といえないのか」あたり
↑これについては書かねばならないような状況になったっぽいので改めてちゃんと書くかもしれない
- まず、「書かれたこと(内容)」の正当性というのがある
その正当性がない、つまり無茶なものだった時は「無茶ですね」という返しは真っ当。
- 俺が「書くこと」と呼んでいるものがあって、それは動機や目的や欲求といったもの
ここは結構難しいところだが、まあ、俺はある(というか、ある程度なら見える、把握できる)と思っている
- で、ある2つの「書くこと」(動機目的欲求)が並んでいた時にどう見るか、というのはその見る人のセンスになってくる
毎日仕事で大変な人の「書くこと」と、暇な大学生の「うまいこといってやろう」欲からの「書くこと」だったら前者を優先したいなあ、とかたまに思ったりする。
でもまあそれは行間に勝手に浮かんでくるものではないし、それで赤が勝ち白が負け、という類のものではない*1。それにそもそも見る人によって違う。暇だろうとなんだろうと大学生の「書くこと」を優先したい人もいるだろうし、ある特定の趣味や言葉遣いをする人を徹底的に優先したい人もいるだろう。
- 自分がネットを眺めていて、ある「書くこと」に相対した時、あるいは、自分が「書くこと」を実践していて、他人の「書くこと」と相対してしまった時。
単純に「書くこと」に出会ったとき、どうするか。
結局翌日のところで書き直した。
*1:たまに「ジャッジしたい!」という欲求が旺盛な人がやってたりもするけど