人に何かを言うこと

人に何かを言うことを助言とかアドバイスとか呼んでなんだかんだと言われてるようだが、結局のところ「人に何かを言うこと」というのは「私はそれを(何かを)望む」という部分が根本なわけで、そこから話し始めなきゃいけないんじゃねーの、と思う瀬戸風味さんであった。

あとこれは今書いてる途中のことなんだけど、そこで「私はそれを望む」といった時に、その対象が存在するのか?という問題がある。それが耳に届く人はいるだろう。言語理解し意味を了解する人もいるだろう。慈悲に溢れる人は気を遣ってくれるかもしれない。が、それは問題ではない。可能性なら世の中なんでもそれなりにはある。
そこで問題なのは、「対象」はいるのか?ということだ。そこで「対象」を見出せないこと、人というのが問題ではないのか*1
何が言いたいかというと、大抵の人というのは「対象」を見出せるものだ。「私は望む」と言えるものだ。対象を明確にして。
ネットでweb2.0がどうだとか非モテがどうだとか書いてみたり、ワイドショー見た感想みたいなことを書いていたり、仕事や学業の合間にネットに何かを書き込んで馴れ合ってみたり、暇があれば人と連れ立って何かができるような人間なら。
そんな大抵の人が、対象を見出さず、「私は」と言えていないように、俺の目には映る。幻想だといいけど、そうではないとしたら、やはり俺は悲しいと思う。

*1:俺言語的には漢字の非モテこと非持の問題